江場 康雄


  気のおけない仲間が、穂高の穂高養生園に集まった。
福田俊作さんが代表をする穂高養生園は、北アルプスの山ろく安曇野にある。天然温泉を利用した自然療法施設と銘打っているが、私にとっては、心と身体のよりどころであり、時間がゆっくり過ぎていくそこは、むしろ、いのちをリフレッシュする、癒しの場といった方がいいかもしれない。
 今回の集いは、ルールはなし、流れに任せようと、福田さんと事前に話し合った。
 突然、話は、「死について」で、はじまった。
 死とは何か。死を見つめて。・・・・。みんながそれぞれ語りはじめた。
 死を見つめることで、今があり、輝くいのちがある。
 幼稚園から、介護学校、老人施設などをもつ「たいようの杜」の(吉田)一平さんが、語った。
 私たちのゴジカラ村には、3歳の生まれたばかりの子供たちから、80歳代のやがて死にいく人生の先輩たちの施設がある。その80年の年齢の間を、我われは数分で歩いている。
 自分を大切にすることとは、多くの便利さと豊かさのなかに生きることなのか・・・。
 札幌の歯科医でDJだった竹ちゃん(竹岡)は、落雷で診療所の医療器械が破壊されたとき、それを天の啓示と思い、歯科をやめ身辺を整理し、アジアへ旅に出た。帰った彼は今、キャンピングカーで国内を旅している。今ごろ、奥さんと日本海沿いに出雲大社あたりを走っていることだろう。
 その彼が言った。人間には、「がんばらない」という生き方が大切だ。天から雷のプレゼントをもらい、50歳にして、二度目の人生、がんばらないという生き方へのスタートを切ったのだ。と。
 ガンになり手術し快復した友人から、『がんばらない』(鎌田實著・集英社)という本をもらった。
 最初のページから胸を打つ話ばかりであるが、いのちはそれぞれの個性であり、それぞれが輝くいのちであることを、私は、この本からつくづく感じた。
 著者の鎌田先生は、医療者からつい口に出してしまう「がんばろう」という言葉は、勇気を奮い立たせる患者さんがいる反面、精いっぱいがんばってきた患者さんを、とても傷つけることがある。と述べている。
 「がんばらない」の生き方とは、人生とか生活に背を向ける生き方のことではない。  むしろ、人間本来の生き方であり、ありのままに生きることなのである。
 竹ちゃんのおじいちゃんは、臨終のとき、「ああ面白かった」と言ってあの世へ旅だったそうだ。そこには人生を遊んできたという実感がある。人は、あの世からこの世へ遊びにきた。そして、遊び終わったら、またあの世に帰っていく。これこそ人生の達人ではないか。
 人生、面白おかしく生きることである。
 帰り際、村さん(村松)と、「イヤー、面白かったなー」と強く握手し、また秋に集まろうと誓った。 
2001年5月