江場 康雄


 「ホタル」、素晴らしい映画だった。
 この映画は、撮影のころから期待していた。あまり映画を見ない私でも、封切りが待ち遠しかった。ところが、その封切りと同時に、あまりの大ヒット、しかもどんどん続映されていくうちに、いつのまにか私は、この映画を8月15日に観に行こうと、心のどこかで決めていたようである。
 それは、私が敗戦の年の生まれであり、それから60年、何か今日までの自分の人生のことや、日本の歴史のことに意味を求めたからだろうか。
 映画は、感動のシーンの連続だった。一つひとつのシーンに製作者の想いが込もっている。
 一度目の特攻隊の出撃で機体が故障し引き返した宮川少尉は、二度目の出撃を前にして「今度こそ、どんな事があっても敵艦を撃沈して帰ってくるから」と言う。「どげんして帰ってくるの」と、聞くと、「ホタルになって帰ってくる。だからホタルが来たら、僕だと思って追い払わないで、よく帰ったと迎えてください」と言う。そして、次の夜、本当にホタルが来る。兵隊達はみな「宮 ! 宮川!」と叫ぶ。ホタルはしばらく部屋の中を飛び、やがて去っていく。それを皆が黙って見送る。
 この食堂のシーンでは、これが死を覚悟した20歳前後の若者のことだと思うと、胸が痛くなった。
 それに、金山(キム・ソンジェ)少尉のように、私は朝鮮人が日本軍の特攻隊として命を失っていたことを今日まで知らなかった。そうした事実を知らないことも問題であり、申し訳ないことだ。
 特攻の生き残り山岡の高倉健と、腎臓病を患い余命いくばくもない妻、しかも妻の知子は金山少尉の許婚だった。その二人が金山少尉の遺品を持って、彼の故郷、日本の田舎風景によく似た村・河(ハフェ)をたずねる。そのクライマックスは様々な想いが交錯した。
 キムの生家では、一族が山岡夫婦を待っていた。「ソンジェが日本のために死ぬはずがない! なぜ、ソンジェが死んで、日本人のあなたが死ななかった」と、遺族の悲痛な叫びを受けるが、山岡の高倉健は、キム少尉の最後の言葉、そして出陣の前日に歌ったアリランを彼らの前で甦らせる。「遺言!」「トモ(知子)さん、私は明日出撃します。ありがとう。私はトモさんのお陰で本当に倖せでした。私は必ず敵艦船を撃沈します。しかし、大日本帝国のために死ぬのではなく、私の家族、朝鮮の家族のため、朝鮮民族の誇りをもって、トモさんのために、出撃します 朝鮮民族万歳。トモさん万歳。ありがとう。倖せに生きてください。私は永遠にトモさんの傍におります。トモさんは永遠です。さようなら。キム・ソンジェ」そして、「アーリランアーリランアラーリーヨー・・・少尉は、そのあとは国の言葉で歌いました。 ・・・ 少尉は、泣いておられました。泣きながら歌っておられました。私も戦友達も冨屋のおかあさんたちも、帰れぬ故郷を思って歌う少尉の気持ちを思い、泣いたのです。」
 映画の帰りに想った。靖国のこと、近隣諸国とのことを語る前にすることがある。それは、過去の歴史を「知る」こと。知ることで、そこに一歩近づき、そして、それを語り継ぐのが私の役目だ。
  諸君、私は、この特攻戦没者1036名の半数近くが飛び立った知覧へ行くつもりだ。そして、沖縄に決まった秋の体感社員旅行(慰安旅行改め)で、この「ホタル」の上映会をすることを決めた。
 2001年8月