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「いくら注意しても、校則を守れないのなら学校には入れない」
 こう話すのは、中学教師をしているA教諭だ。この中学校では、「丈の短い上着」(短ラン)や「太目のズボン」(ボンタン)など、いわゆる違反制服を着ている生徒が、各学年に数人ずついる。さらに、その生徒たちのほとんどは、授業を聞く気もなければ、しばしば授業妨害することさえもあるという。校内でのタバコも何度か発覚している。昼休みにふらふらと帰ってしまうこともある。
 制服違反に加えて、授業態度も悪いのだから、「他の生徒たちにも悪影響を及ぼす」(A教諭)ので、学校には入れないというわけだ。この対応は別に、A教諭に限ったことではないらしい。同校の生徒指導方針といったところだ。
ただし、校則違反をしたら即、放校というわけではない。「直さなければ学校に入れないよ」と何度も注意をした末の結論だという。数名の生徒たちは結局、制服を正してこなかったために、その後の数日間は校門より中には入れなかった。

 一方、同県内の別の中学校に勤務するB教諭。彼の学校にも同じような「ワルガキ」が存在する。授業中に教室を飛び出し、廊下を転がりまわる生徒もいるという。ここまではA教諭の中学校とほぼ同じだ。ただ、そこでの接し方が異なる。
 この学校では、校則違反を含め、いかなる背景があっても、登校した生徒を教師が追い出すことはないという。
 その理由をB教諭は、「もし校外で問題を起こしてしまったら、教師は何もしてあげること(子どもを守ってあげること)ができないから」と説明する。
 つまり、制服違反であれ、授業を聞かない生徒であれ、学校に来ているのであれば、教師の対応次第でどのようにも変えることができるのではないかという視点だ。むしろ、「この対応の仕方こそが教師に求められる力量ではないか」(B教諭)という。ただ、そう簡単に教師の指導が生徒に通じるわけではないらしい。B教諭はこれを痛感しつつも、最後にこう語った。  「最低限、学校に来ようという姿勢があるのだから、それを拒否する権利は教師にはない」

 A教諭もB教諭も私の知り合いである。ちなみに、追い出された生徒たちは、「そのままの格好で学校に登校し、校門で追い返される」ということを数日繰り返した後、標準制服とはいえないまでも、以前よりはまともな制服になったので、めでたく「校門より中」に入れたそうだ。
 「決まりごとを守る」のは、法治国家である現代社会では必要不可欠である。だから、校則を守らせることも、「規範意識の育成」という面を考慮すれば当然だと思う。しかし、特に中学校の校則には、以前ほどではないにしろ、「おかしいな?」と感じる内容が多分に含まれていることも事実であろう。
私は転校したので2つの中学校に通ったが、転校先の学校は当時、男子は「丸刈り」であった。断髪式で「半ベソ」をかいたのは言うまでもない。額の狭い私にとって、坊主はさっぱり似合わなかった。また、転校で地理的にはかなり北上したのに、なぜ余計に「涼しく」ならなければいけなかったのか。このように様々な疑問を感じながらも、半年間の丸刈り生活をまっとうした経験がある。話が反れてしまったので戻そう。
 確かに「校則」は守るべきものである。しかし、それを守らないからといって、教師が生徒を学校から追い出してしまって良いものだろうか。生徒一人ひとりが学校に来ることによって集団ができ、その土台の上で初めて「校則」も成り立つのではないだろうか。
 私は現在、教職を志す身である。これからもさまざまな勉強をしていきたいと思っている。