伊藤 洋史

競技役員サイドから見たツール・ド・北海道の様子について報告します。
 
  ・9月10日(月)

 ニッポンレンタカーに車両を受け取りに行く。僕が乗る『関門審判車1』は例年だと「車連カー」(亡き寺本さんのキャラバン)なのだが、今年の春に廃車になったため、デリカ・スペースギアをレンタルする。帰りに車連の倉庫によって前日に準備した荷物を積み込む。各車両やモトなどで使う荷物で8人乗りのデリカも一杯になる。

  ・9月11日(火)

 朝6時に川沿のグリーンホテルに集合し函館に向う。台風の影響で激しい豪雨のなか11時頃函館到着。さっそく12時からハーバービューホテルで開かれる合同審判会議に出る。今年のチーフ・コミッセールはフィリピンのホセ・クルツ氏。この会議の後、小野盛秀氏に札車連から還暦のお祝いに真っ赤なブレザーが贈られる。小野氏は以後このブレザーを着続けたため、会場で紺ブレを着ている審判団のなかでひときわ目立つ真っ赤なブレザーに驚いた人も多かったのではないかと思う。
 この後各部門毎の打ち合わせがあり、3時頃解散。僕は車に無線と着順判定用のビデオデッキとモニターの取り付け作業をする。ツール・ド・北海道の無線は、公式無線で各チームカーや警察車両も受信できるツールド無線と、審判業務で使う車連無線の二系統あるのだが、僕の車には両方の無線が装備される。これらの作業が終わり、夕食を食べ、ビールを飲んで寝ようと思ったころ、アメリカのテロのニュースが入り、12時過ぎまでテレビに釘付けになってしまう。

  ・9月12日(水)

7時から役員打ち合わせだが、米のテロのニュースで初日から寝不足。しかも、実は昨日の午前に函館に着いたダイレックス(運送会社)のトラックに積むはずの荷物をあやまって夕方の便に積んでしまい、おまけに国道が寸断されたため夜遅くに到着。これに本来であれば昨日渡すはずの選手のゼッケンなどが積まれていたため、朝からそれらの準備に追われる。今日は午前中は市民参加のタイムトライアル。僕のポジションはスタートのタイムキーパーだが、ストップウォッチを忘れてしまった。どうも幸先が悪いが、心配された天気も徐々に回復。村上昌美氏をはじめ何人かの落車はあったが、無事市民参加レースは終了。昼食後プロローグがスタート。直線部がほとんどなく、コーナーの技術が勝敗を分けるコース。今年初参加のドイツチームの強さが目立った。この日は夜開会式が行われ、続いて役員の交歓会が行われたが、この交歓会というのが議員をはじめ地元の有力者やスポンサーが参加する会で、挨拶の長さに閉口してしまう。約1時間後にようやく乾杯。審判(特に僕と一緒に仕事をすることになる関門審判)のテーブルはあっというまに食べ物がなくなり、自民党の元幹事長綿貫民輔氏(ツール・ド・北海道協会の会長でもある)の隣のテーブルまで出張して食べまくる。以後、関門審判はイナゴと呼ばれるようになる。

  ・9月13日(木)

 今日からステージが始まる。函館市役所をスタートしたキャラバンは、3キロのパレードの後レースが始まるはずだったが、コースが通行止めの国道の迂回路になっていたためかなり渋滞しており、おまけに交通規制をしていく先導パトカーがコースを間違えてしまったために数キロにわたってまったく道路が規制されず、選手もキャラバンカーも対向車線を走ったり信号で止まったりで大混乱!結局10キロまではパレードに切り替え、どうにか再スタート。最初の関門である中山峠(といっても大野町と厚沢部との境にある峠ですが)のKOM(King Of Mountains)に向う。ここが僕の最初の仕事場。5着までと反則で降格になる選手もいるためリザーブで6・7着までの順位を読まなくてはいけない。ビデオでも撮影しているが、目視で着をとるのが原則。刻々と入ってくる無線に耳をそばだて、大集団でないことをひたすら祈る。幸運にも5人が集団から抜け出しKOMポイントを通過。MOTO−10と呼ばれるバイクから無線で審判長乗るCOM−1という車に暫定の順位を送る。

  すぐにカメラ等を片付け、キャラバンに復帰する。しかしここも迂回路のため最終のパトカーの後ろに大量の一般車両が入り、これを追い越してキャラバンに復帰するのが一苦労。キャラバンの後ろには覆面パトカーが走っているのでびびりながらも150キロくらいのスピードでクラクションを鳴らしながらキャラバンを追う。その間ビデオで順位を確認し、出来次第確定順位を送らなくてはいけない。毎日4〜5ヶ所あるKOMやHOT SPOTのたびにこの仕事を繰り返す。関門審判は冷遇されているがなかなか大変なポジションなのである。もっともだんだん集団がばらけてくるとキャラバンの外に出ることはなくなるので追い上げは比較的楽にはなりますが…。

  キャラバンの車両も来年以降の競技継続のためにも交通規則は遵守しなくてはいけません。ちなみに今日のステージではミヤタとシマノのチームカーがオービスに ひっかかってしまいました。また、北海道選抜の馬場武蔵君は予想通り前半で集団から置いていかれ、いったんはチームカーの「魔法の絨毯」で集団後方近くまで上がってきたがすぐにちぎれ、アンビ(救護車)−1のスリップストリームに入ろうとしたが何故かアンビが急ブレーキ。僕たちの車の目の前でアンビに突っ込み落車。初日でリタイアしました。この日のレースは小さなアタックはあったものの大集団のまま進む。最後のKOMを過ぎたところでアイルランドのマッキャン・デビッドが抜け出し、2位以下の集団に1分以上の差をつけてゴール。この日の宿は長万部温泉。使ってもいい部屋と人数だけ指示されるが好きな部屋に泊まれという雑把な旅館で、トイレの大は水鉄砲のようなもので自分で流さなければならないなど、ちょっと目が点になってしまいました。

  ・9月14日(金)

 今日は第2ステージ。今金町をスタートし長万部でなんと国道5号線を10キロも走行し、寿都の海を見て蘭越から新見峠を越え岩内ゴールという画期的かつ厳しいステージ。このように国道を競技で使えるのは、道警から来ている馬場さんの力が大きい。今日の僕の仕事は長万部駅前のHOT SPOT。HOT SPOTは先頭3人+リザーブ2人をとればいいので楽チンだろうと思っていたが、レースはサイクリングの
ようなスピードで様子見の展開。HOT SPOTでは十分力をためた選手たちがまるでゴールスプリントのように次々まくってくる。

  結局目視でとれたのは1着のみ。「1着しかよみとれず」という無線を送り、あとはビデオ頼み。しかしあまりのスピードのためゼッケンはなかなか確認できずひやひやしましたが、どうにかジャージのデザインを勘案し確定順位を送ることが出来た。関門審判は僕たちを含め全部で4つのグループに分かれているのですが、今日のステージは5箇所のポイントがあるため、2班が寿都のKOMをとったあと新見峠へ先行しなければいけないという大変なステージでしたが、7月に行ったコース下見の際に先行コースも確認済みなので先行もバッチリ。今日のレースもアイルランドチームが集団をコントロールし、ゴール前で抜け出したグリフィンポールが1着。チャンピオンジャージはマッキャン・デビッドが守る。今日はキャラバンの車両についてレポートします。チーフコミッセールの乗る車をCOM-1といい、これがメイン集団を管理する。先頭グループを管理するのがCOM-2で、小野さんが少ない髪をなびかせながら乗っているのがこれです。

  集団の後方はCOM-3が管理。更に審判の乗ったCOMモトが3台、インフォーメーション・モト、ブラックボード・モト(ボードにタイム差などを書いて選手に知らせるやつ)、ニュートラル・モト(ホイールを積んでる)など10台のバイク。それに先頭グループにマビック・カー、メイン集団にはシマノ・カーのニュートラル・サービスの車がつく。僕の乗る関門審判車はCOM-3の後ろあたりを走る。その他にアンビの1・2、キャラバンの最後には後方関門車(通称サグ)などがついてキャラバンを形成する。ツール・ド・北海道は先頭から20分でリタイアになるので、キャラバンも最大20分、10キロ近くの長さになる。キャラバンの車両は原則として選手について走るので、途中でオシッコが出来ないのがつらい!携帯トイレを使っている人も多い。看護婦は紙おむつをしているとか…。今日は岩内泊まり。ホテルに少し早めに着いたので、明日のクリテのコースを試走。8週で45分。キツイ!