竹岡 雅史


アウトドア‐ライフの原点は、
先住民のライフスタイルを学ぶことにある。

 マリナーズのイチローとレッドソックスのノモ、アメリカで頑張っています。
 彼らがアメリカに渡って堂々と戦っている姿をみていると、自分の事のようにわくわくしてきます。
 さて僕たちも彼らに負けないように、北海道から世界に向けてメッセージを出さなければなりません。そのメッセージを送る事でどうなるのか、イタオマチプが海を渡る事で何が変わるのか、そもそもアイヌの古代の船を復元して海を渡る必要があるのか?。
 イタオマチプを復元して海を渡ることに『意味』はあるのか、はたまた丸木舟でアラスカまで到達できるのだろうか、何のためにそのようなことに苦労しなければいけないのか。
 そこのところがハッキリしないと、我々の情熱が燃焼しても何処へ飛んでいくのか判らない。
 というわけで、今回はコンセプトを簡単明確にしてみましょう。
カヌーらしきモノで海を渡ると言う行為はアウトドア‐ライフ、つまりサバイバルゲームであって人間の知恵を総動員する、自然との共鳴作業になります。
 自然との共鳴もしくは共生とは、人間が人間の頭の中の考えで行動するのではなく、自然の中に自分自身を配置させながら一体化することです。
 互いに溶け合って区別がつかない状況になり、自分自身の意識をくっきりさせる人生ゲーム、カルロス・カスタネーダの知恵に近づくアレです。
 ファーブルやシートンの昆虫・動物観察も一種のアウトドア‐ライフですし、特にシートンやバーデン・パウエルが創設した「ボーイスカウト」は、自然の中でいかにサバイバルするかの知恵を集大成したモノでした。そこんとこを突き詰めていくと、先住民の暮らしの知恵に到達するのです。
 科学的で文化的な機械や道具がない状態で山の中にホッポリ出された時、それもヒグマや得体の知れない魑魅魍魎が蠢くような夜の山中で迷子になった時、あなたなーらどうする。
 先住民は最初からそのような場所でルンルンと生活していた人たちです。
 つまり未来に希望が見えなくなって、モノが不足して所得も上がらず給料も増える気配がなく落ち込んでいる時に、地震や小惑星とか彗星が災害をもたらす。苦労して築いてきた文明社会にも必ず黄昏が訪れる、ちょうどそんな事態になった時、あわてて縄をなうことがないように先人の知恵を学ぶのです。
 便利でイージーなライフスタイルに自分を合わせて健康を損なうのではなく、少しハードかもしれないけど日毎に身体も精神も成長する、死ぬまで現役のライフスタイルを取り入れるのが21世紀の流行になります。
 先住民の生活は本当はカッコいい、非常にフレキシブルで無駄が少ない未来的な、宇宙と人間が乖離していないモノになっています。要するに貧富の差とか学歴とかどうでもいい価値観より、魂(タマシイ)が納得する真理を求める生活を善しとしています。
 アウトドア‐ライフブームの本質的な原点は、先住民の知恵を身に付けたいと言
う、サバイバル本能にあると僕は思います。