トシ西山
[オフロードライダー]


オフロードバイクのすすめ
 今から15年ほど前、親友竹岡雅史君と、日本初の2日間で400キロ荒野を走るエンデューロというバイクのレースを苫小牧で主催した。
 竹岡君とはバイクが縁で知り合ったが、彼が北海道出身の野人(失礼)で、アウトドアスポーツに大変興味があり、筆者がヨーロッパで参加しているインターナショナル6日間エンデューロ(ISDE)に関心があった。そのエンデューロを是非日本で開催してみたくて竹岡君に相談したところ、苫小牧に良い場所があるとのことで開催に漕ぎ着けたのだ。

世界一過酷バイクのレース
 ISDEは1913年にイギリスのカールアイルで第1回が開催されているが、既に70回近く毎年開催国を異にして、25ヶ国の大代表選手が選抜されるバイクのオリンピックとして有名だ。約450名のライダーが1日150kmのコースを連続2週する。その中に3,5kmのスペシャルテストが午前と午後1回ずつと、約8kmの山岳コースのスペシャルテストが午後行われる。毎日コースは変更され、しばしば初日のコースは2日目に逆走したりする。雨降りの時はコースが泥沼化し、ブレーキを掛けても止まらない崖を下りるというか落ちるコースを、翌日はバイクを押しながら登らなければならないという超過酷なイベントである。
 1日約7時間の走行を終えてホテルに引き上げると、階段を上がる元気が消え失せ、やっと自分の部屋へ辿り着くという有様だ。埃だらけのライディングギア(バイクの服装)を脱ぎ捨て、バスタブに首までどっぷり浸かると、自然に目蓋が閉じられる。「今日1日無事だった。とりあえず五体満足だった。」と自分自身が生きていることを確認し、ほっとするのである。
 身体中の筋肉がパンパンに張ってしまい、そのまま15分くらい微動だに出来なくなってしまう。垂れ下がった目蓋のまま食事をし、もう8時ごろにはベッドに倒れ込んでしまうが、翌朝が大変だ。ベッドから起き上がろうとすると全身くまなく筋肉痛が伴い、ベッドから落ちる様にしてやっと立ち上がるという、とても他人には見せられない無様さだ。関節の節々が、音こそ立てないが油の切れたドアのごとく、ギーと不気味な振動を伴って動いている。そんな辛い3日間が終わると、4日目からは身体も馴染んできて疲労こそ蓄積されるが、節々の痛さなど大分緩和されてくる。
 6日目の午後は4〜50台ずつ一斉スタートの、1周3、5km7周のモトクロスが行われ、6日間の闘いの幕が閉じられる。実際のレースが始まる前は書類審査、車両検査、身体検査など、主催国の役員がドクターが丁寧にチェックする。そして各国のライダーがチームメイトが、国家が流れるスタジアムでアルファベット順に行進して、一同に整列してオープニングフェスティバルが挙行される。

バイクと地震
 説明が長くなってしまったが、このISDEを圧縮した2日間エンドューロを苫小牧で開催したのである。それから12年あまりが過ぎ、北海道でこれを真似したイベントが10ヶ所くらい出来、日高町で行われる2日間エンデューロは日本を代表するイベントに成長した。我々がこのイベントを発展させる目的は、バイクのアウトドアスポーツとして普及したかったことと、ここでの体験により習得したテクニック、体力、道具(オフロード用バイク)を駆使することにより、非常災害の時に唯一の陸上の交通機関として活用できるということである。
 幸か不幸か昨年の阪神大震災において、瓦礫の山を乗り越えて活動できたのは、このオフロードバイカーとバイクしかなかったのである。
 筆者も東京から70kgの救援物資をリアに取り付け、1月の厳寒の東名名神高速を600kmも走りに走り、また大渋滞の国道を右往左往しながら神戸市に突入したのである。4輪車が倒壊した道路に反乱し、緊急自動車が100m進むのに1時間も掛けるという大混乱であった。わずかな隙間を見つけてはオフロードバイクで、自動車の前を左右にくねくね走りながら、約20kmの国道を2時間も掛けて前進したのである。4輪車だったら8時間でも到着しなかったことだろう。
 道路は至る所段差が出来、特に橋と道路の継目は20〜30cmもずれて、乗用車はお腹を擦ってしまい全く使いものにならないどころか、それがかえって足手纏いになった交通機関を完全にマヒさせてしまったのである。地震が起きたら自動車は使わないように指導されていたが、実際にそんなことは完全に無視され、まさに無法状態だった。
 国道を離れ路地に入るとそこは瓦礫の山で、自転車、スクーター、オンロードバイクを以ってしても走行不可能で、エンデューロやトライアルバイクしか走れない世界へと変貌していたのだった。
 暴走族やバイクは危険だという世間の風潮があるがいざ鎌倉という時頼りになる陸上の交通機関は、これらのオフロードバイクしかないこということが証明されてしまった。
 先の苫小牧のエンデューロを主催するにあたって、関係各庁に非常災害時の訓練になりますということを説明したが、当時おそらく彼らにはそれが何を意味するかが十分理解されていなかったと思われる。その後事有るごとにオフロードバイクの非常災害時の活用を唱えてきたが、ほとんどのお役所がバイクの活用を真剣に検討した形跡はなかったように思われる。神戸の人達には申し訳ないが、阪神大震災後白バイや各市町村でオフロードバイク導入が検討されているという話が聞こえてくるようになった。