加納 雅


「表の不景気は裏にとって好景気」

 最近、話題としてはすっかり下火になったが、とある大手金融会社が返済不履行の顧客に対して暴力的、もしくは恐喝的な取り立てを行ったとして世間を騒がせた事件があった。

いわゆる「腎臓や目玉を売って 借金を返せ!!」って話である。

この件について裏社会の住人は新聞やTVの報道を見ているうちに皆、一様に首を傾げたものである。

 言葉巧みに保証人にされて、本来の債務者が返済不能になったからという理由で理不尽な取り立てを強要されたというケ−スならば その被害者に対して少なからず同情するが問題なのは その本来の債務者は"金利が高い"・"取り立てが厳しい"と言うのをほとんど承知でその金融会社からお金を借りたのであるから、はたして本当の意味での被害者に成り得るのか?という事なのだ。

行き詰まり、切羽詰まってという状況だからと言って返済の綿密な計画も無しにその場しのぎで高金利の金融に手を出すこと自体に問題は無かったのか?とね。

結果的に返済が出来なくなったならば債権者が取り立てに来るのは当たり前であるにも関わらず、日本の法律は実にいい加減なもので弱者救済等という、どうにでも都合良く解釈できる大義名分をかさに 借りた金を踏み倒そうとする人間を守り、気がつけば被害者に含めてしまうのは如何なものかと思うのだ。

借金を簡単に踏み倒す方法を簡単に表現するならば、借りた側が貸した側に対して

「申し訳ない。必ず返すつもりなんだ。だが、今は金が無い。だから、今すぐは返せないけど時間さえ貰えるならば少しづつでも必ず返す」

と言い続ける事である。若干の演技力と面の皮の厚さがあれば実に簡単に出来る事である。

それに対して貸した側が怒って殴れば傷害罪、嫌がらせをすれば状況によって脅迫罪に問われ、借用書等の書類が完備していなければ、民法上、合法的な手段である支払い命令や強制執行等の手続きは取れない。ついには泣き寝入りせざるおえなくなる。一般的に「借りた側が強い」と言われる所以である。

 現在、少なくても私の周りにおける銀行では中小企業に対して直接貸し付けを行っているという話は、ほとんど聞いたことが無い。保証協会という半公共団体が保証した案件であれば融資するという事実上の間接融資が殆どである。

 ある友人がとある都銀Aに対して、バブルの頃なら間違いなく2億は貸したであろう不動産を担保に直接融資を申し込んだところ融資担当者に

「申し訳ありませんが、現状では不動産だけでは担保として受け付けにくく・・・」

と難色を示され、怒って隣の都銀Bに行ったところBの融資担当者は融資に関する内容の質問より、隣の都銀Aの対応を根掘り葉掘り聞き、挙げ句の果てには別の都銀Cを引き合いに出して

「残念ながら現段階では当行として融資を受け付ける訳には参りません。ただし、万が一他行が受け付けた場合は速やかに御連絡下さい。より良い条件を提示いたします。」

と、自分が何を言ってるのか理解出来ない様な事を平気で口走ったという事実がある。銀行自身に審査能力が無い事を実証しているひとつのいい例である。

 銀行が公共性の高い存在であるとして、政府や大蔵省などが税金を支援と称して投入しているが、末端の中小企業や個人に対する融資は いまだに緩和されたとは思えない状況が続いている。

 特定の企業などを、その企業が破綻したら経済に対して与える影響が大きいと言って例外的に援助するぐらいなら、末端への融資の緩和をもっと現実的に対処すべきであり、それが成されない限り裏社会のモグリ金融は笑いが止まらないのである。

それが、どうして問題視されないのだろうか?