児玉 幸雄

 アポロが月に到着する瞬間のニュ−スを見ている宇宙人が存在し、現在から30光年の彼方でその実況中継を楽しんでいるとしよう。彼らはア−ムストロングが月面に降り立つ場面を見て、地球人も遂に月まで到着できる科学技術を持ったかと感激している。ところが今の地球はそれから30年経過した未来であり、リアルタイムで彼らと連絡できる状況にあるとしよう。地球人は過去の出来事を再現しながら、遙か彼方の宇宙人は未来の実況中継を聞きながら、同じ時間帯に生きているのだ。場所が違うことで、時間が違う状況が両者にある。地球人と宇宙人は異なった時間に、同じ時間状況を共感できるのだろうか?
 実は地球上という同一場所にあっても、時間の感覚と意識のズレが起きているのだ。未来は僕たちの前に立ち込めている濃霧のような遮蔽物ではなく、これから行くべき目標を指し示している。未来という時間観念を持て余し、思い切った考え方が出来ないでいる境界に生まれたからだ。人間の生きかたも脳の機能も、全く新しい次元に到達しつつある。それは遙か彼方の星に住む知的生命体が、テレパシ−で地球上の現在を知りながら、過去と未来を同時に観察できることを示している。同じように地球人である僕たちも、その星の過去と未来を観察していることになる。
 これをどのように考えればいいのだろう。おそらく地球的な時間の経過でも過去と現在と未来が同時に感じられることを示している。それは30年前の宇宙人が、60年時代の僕たちに未来のメッセ−ジを送れるということだ。確かに僕たちは60年代に、90年代に起きるであろうメッセ−ジを受け取ったたような気がしてならない。1998年の今の状況を見て、30光年先の星が60年代にメッセ−ジを送るということが。
 60年代に未来があった、そのような視点であの頃を回帰してみた。もちろん歴史上で最も妖しい事件が起き、あたかも科学的な真理が見つかる錯覚をしていた時代だからだ。ヒッピ−がかなり際どいカウンタ−・カルチャ−(反体制文化)運動を展開し、別名ドラッグ・カルチャ−と呼ばれる超面白危険状況を提示してくれた。危ない世界は面白くてハチャメチャな仮想現実を作り、本当の自由は破壊的なカオスと度胸を要求した。脳の中でニュ−ロンの花火が上がり、目の回るような桃源郷と曼陀羅を見せてくれた。視覚系を飛び越えて、脳神経ニュ−ロン・ネットワ−クに火花を散らす刺激を与えてくれた文化だ。
 ロックン・ロ−ルがメイン・ストリ−ム(本流)になり、ビ−トルズがクラッシクになる直前・直後の時代だ。危なくて野性的なヌ−ベル・バ−グ(新しい波)が押し寄せ、ボサノバと印象派的な映像が似合った。脳がタブ−を破ると、本当のことが流れ込む刺激。アラン・ドロン、ケネディ−、ガガ−リン、マリリン・モンロ−、ビ−トルズ、スト−ンズ、という名前が出現した。カラ−テレビ、ベトナム戦争、ジャルパック、LSD、マルファナ、文化革命、DNAという固有名詞が見られるようになる。映画では「太陽がいっぱい」、「ティファニ−で朝食を」、「007は殺しの番号」、「2001年宇宙の旅」等があり、アポロが月面から人間を生還させるイベントが締めくくる時代であった。
 60年代に未来が出現した、その根拠が何処にあるのかは後で説明するが、そのヒントを教えるから考えてほしい。それは脳がメディアで攪乱され、変性意識を経験すること。これから出現するであろう出来事が、未来からのフラッシュ・バック映像で伝えられた。ハイテク時代の予感があり、新しくて便利な科学万能の時代がくる期待があった。何故そのようなことを信じたのか、その事を考えてほしい。

つづく