既成概念が破れる時は、新しい何かが始まる時だ。たった一人の孤独な行為から何かが始まる。世の中の誰も認めてくれない、常識を打ち破る事から動き出す。 何故なら常識ではその行動を説明する事は出来ないし、世間を支える根幹が役に立たないからだ。


  坂本龍馬達は幕府の崩壊を見切って脱藩を決行した。武士にとって幕府が全ての時代に、藩の存在を拒否したのだ。

 現代において教育を拒否する事は、自分以外の全ての価値を否定する事に等しい。両親も教師も誰もが否定する行為を登校拒否というのだろう。孤独で追いつめられた子供の最後通牒だと思う。他に手段は無いのだ。

 タイのカオサンには、「登校拒否」の日本のオヤジが居る。日本が嫌いだというのではない、会社に自己を主張したら追い出されたのだ。日本で拒否宣言をするのは難しい。拒否した瞬間自分が消される危険があるのだ。

 僕はのんきなエトランゼを決め込んでいる、つい最近も友人が亡くなったけど、いずれ必ず僕の旅の目的地になる。人生で絶対なのは死を迎えるという事だ。

 登校を拒否するという行為には、社会の外側に瞬間移動して人生を見つめ直す衝動が織り込まれている。それを見破れないような社会は、必ず近いうちに崩壊するだろう。

※北海道新聞 『朝の食卓』 に寄稿