村松 弘康


 京都清水寺が選んだ2004年の言葉は「災」であった。台風と地震が多発した。北海道にも風速50mという,かつてない規模の風が吹いた。おびただしい数の原生林の樹木が倒れ,札幌でも,北大植物園では500本,北大構内のポプラ並木19本もなぎ倒された。「天災」は人智を越える。
 21世紀になり4年目,地球の環境は悪化を続け,戦争もとまらない。イラクに大量破壊兵器が存在しなかったことが明白になっても,戦争と占領の正当性を譲らない国があり,その国に協力する国もある。法律家の感覚からすれば,「無法」以外の何ものでもない。
 未来を担う子供が加害者となり,被害者となる犯罪も多発し,とどまらない。イラク国民の死亡者は,3万7000人とも10万人とも言われているが,日本では,1日に100人もの人が自ら命を断っている。自殺者は3万人の大台を越え続けている。平成10年から平成15年までの間で,公表された自殺者の総数は19万6275名に達している。
 他方,700兆円を超える借金で日本の国の財政は破綻しており,いずれ1000兆円に達するのは時間の問題と言い切っている人もいる(堺屋太一)。地方には分権と町村合併という名の財源切り捨て,市場の敗者には自己責任を押しつける。小泉政権は,社会保障費の大幅削減と郵政民営化を財政再建の2本柱と主張し,敗者にとって厳しい時代へのかじ取りをすすめている。
 異常な時代である。意識を覚醒し続けないと,簡単に異常が日常化する。こういう時代、思考と行動の停止は,社会の中心軸のズレを増幅する。


 大事な人を失った。一人は中村仁弁護士である。10月7日に入院されてから20日に亡くなられた。金属じん肺の弁護団長として,事務局長の私を引っ張り,弁護士会の会長として,副会長の私を引っ張ってくれた。まさに私にとって「恩人」であった。「仁」の名のとおり,思いやり,慈しみ,情けを最後まで貫いた人生の師であった。11月には,副会長経験者と共に食事をする予定が入っていた。今や,手帳の空白を埋めることは永遠に不可能になってしまった。仁さんは,いのちの短さとはかなさを厳しく刻印して,すい星のごとく去った。
 もう1人は,同級生の貞方宏である。帯広柏葉高校のFクラス,52名の男の中に「万能の男」がいた。打っても,投げても,走っても,勉強でも,いつも一番だった。練習もせず,勉強もせず,なぜか彼はいつもトップランナーだった。「優秀」を絵に描いたような男だった。正真正銘のヒーローだった。「かなわない」という思いがいつもあり,私は彼に憧れ,目標にして,あの時代を走り抜けた。
 貞方は児童相談所の所長の立場にあった。今の時代を生きる子供の現実と向き合いながら,日本の家族に深く絶望していた。「現場は事件よりも深刻だ」が口癖だった。時代の重圧を一人で背負い,闘う「哲学者」でもあった。「共感の喪失は子どもたちの間だけではなく,欲望にとらわれた我々全員の間にも広がっている。それなのに、なお優しさや愛の心があるのはなぜなのか」と問い続けた。この問いに対する答えを出す課題を残したまま,逝った。
 常に直球勝負で闘った挑戦者の魂は私達の中で永遠に生き続ける。