松原 武士

 1960年という時期は日本の昭和35年という時期に当たるが、ちょうどその頃は第二次大戦直後に生まれた団塊の世代が思春期を通過した時点になる。大きな戦争が終わった結果、共産主義と資本主義で世界中が二つの分けられた時代が始まった。50年代の朝鮮戦争で敵が明らかになったが、60年代のベトナム戦争では正義が曖昧になる時代だ。それでも人々の意識は未だ前向きであり、未来に対する希望に満ちていた時代だったと言える。科学的な進化は電化生活として実現されだし、今日よりも明日が明るい日になることが信じられた。世の中は少しずつ変わるのではなく、毎日のように大げさに変化した。

 僕自身はそのような時代が始まる前夜といえる1950年に生まれ、舞い降りた場所の移り変わりを見ながら育ってきた世代だ。慌ただしく時間が過ぎ去り、落ちついて人生を考える暇もなかったような気がする。新聞とかラジオやニュ−ス映画を見るたびに、世界中の様相が劇的に変化していった。その激動期を60年代と呼び、アフリカもアジアも独立を叫びながら様々な形で実現していく。人間の歴史ではあっと言う間の瞬間で、20世紀の真ん中の十数年でしかなかった。しかし人類は劇的な選択をしたことになる。 「音楽が歴史に記憶を刻んだに生まれた」                    
 アメリカは能天気なくらい希望に溢れ、世界中が混乱の最中で浮ついていた。シナトラとパットブ−ンとプレスリ−が仲良く唄いだし、マンボとタンゴとルンバが未だ勢いづいていたころ、50年代から受け継いだ音楽の主流は意外な方向に変化する。伝統的なフランスのシャンソンやイタリアのカンツオ−ネが最後の輝きを放つと、アメリカンポップスから始まったロックの動きが活発な活動を開始した。50年代からブル−スはリズムアンドブル−スへ加速しながらロックンロ−ルを生み出し、60年代になるとリオデジャネイロでボサノバをリバプ−ルではビ−トルズを発明すると、時代の背景に音楽が流れだす。
 歴史的な出来事のBGMが時代を浮上させ、人間の脳裏に記憶を刻んでいく環境が出来ていく。電気的な進化と音楽の普及は一体となって生活様式を変え、日常的な出来事も世界的な事件も音楽絡みで伝達されだしたのだ。音楽があらゆる階層の人々との耳に届き、都会でも田舎でも環境の要素として欠かせないものになる。大げさに何をいうのかと思う人もいるだろうが、電気の無かった時代に音楽を聴くことの大変さと贅沢さを考えてほしい。音楽はコンサ−トでしか聴くことができず、それゆえに音楽は特権階級の娯楽と慰みごとで、作曲家なんて音の手品師か太鼓持ちのような存在でしかなかった。

 19世紀に活躍したモ−ツアルトもベ−ト−ベンもそのような立場に置かれ、パトロンの好みに合った音楽作りに甘んじていた。彼らの住んでた時代に電化製品はなく、それから派生したオ−ディオ製品ももちろん無かった。音楽を録音して保存するという考えが無かったから、音楽を鑑賞することはハイソサエティ−な社交界の特権。音楽は特権階級の贅沢品だった、そんな時代が僕たちのお祖父さんの頃の当たり前の常識だったのだ。音楽を再生して聴くことも録音することも思い浮かばなかった時代は、20世紀に入ると想像することも困難な不便で原始的な過去として忘れ去る。
 90年代にウオ−クマンを持ったことがない人や、カセットテ−プで録音操作が出来ない人はいないだろう。音楽を聴かない人だって英会話のヒアリング能力を高めるために利用するし、他人の秘密を盗聴する職業だってあるくらいの世の中だ。モ−ツアルトが自分で作った音楽を誰かに聞かせたい、そう思って取れる手段はたった一つしかなく、人々の面前で実際に演奏するほかはなかった。貴重なパフォ−マンスは片っ端から消失し、現実にモ−ツアルトが演奏した音楽は残っていない。50年前のブル−スは聴くことが出来るが、100年前のモ−ツアルトは楽譜で再現するほかはないのだ。時代は突然に変わる。 19世紀以前の1000年の変化は、20世紀における10年の変化に追いつかない。音楽の世界における記録装置は、電気的な効果によって録音も再生も手軽に操作できるように進化した。夜中に気が向いたら音楽を聴くこともできるし、眠りながら予約録音をすることも可能になった。音楽を日常生活に持ち込むことは、本当はかなり大変なパフォ−マンスだったのに。それらが一気に簡単に日常的な行為として受け入れ、誰もが極普通の操作として自動化した生活しているのが20世紀だ。

 僕たちが見ている星の光は何光年も何億光年も経過して地球に到達しており、それらの 星の光はひとつとして同じ時代のモノではない。同じように人類が生きつづけてきた歴史の教科書も、様々に異なる時代の歴史的な出来事を教えてくれている。適当に開くペ−ジによって時代が変わり、知りたい箇所の詳しいことを調べることもできる。しかし印象に残っているのはホンの僅かでしかない。そのような歴史的な事実の中で、とりわけ印象に残るのは60年代だ。人類という種が突然変異をし、時代がドラマチックに変化する気配がした。そのような時代に生まれ育った事の意味を探ってみようか。一言でいうと地球の環境が一気に変わった気がするし、時代を運営する動機と人間の意識が変わったようだ。
 時代がドラマチックに変化する気配がすると、子供たちが特に快感を覚える理由は何処ににあるのだろうか?現代の子供たちがこの世を選んで生まれた出たことと関係がある。