松原 武士

 60年代の子供であった自分自身のことから考えると、不思議なことにそれらの時代変化を期待して生まれてきた予感がする。歴史というドラマの結末がやっと解決される時代に生まれた、そのような期待を持ってこの世に生まれた。そんな気がしてならないのだ。世紀末をあえて選んで生まれてきたというか、輪廻転生を繰り返しながらドラマの終わりを見物にやっと辿り着いたというか。事実今という時代は確かに大きな変化が起きそうで、少し先の未来さえ予測が不可能なくらい混沌としている。中世の停滞した時期がルネッサンスで活気づいて目覚め、海外に飛躍する植民地支配が始まると、工業という産業を生んだ19世紀に突入する。そのころから人類は突然変異の気配をきたした。
 電気製品と内燃機関がライフスタイルを変えだし、資本主義という名の大量生産大量消費社会が人類の意識を変化させたのだろう。20世紀が人間の歴史のなかでずば抜けて特殊なのは、全ての階層の人々が共通の意識体験ができる時代だということにある。ラジオ、テレビ、ビデオコ−ダ−、カセットデッキ、ウオ−クマン、パソコン、携帯電話などと挙げればきりがない電気製品を生活必需品として使いこなす。あげくの果てに家庭に2台以上の自動車があったり、海外旅行がそこら辺の温泉巡りより格安だったりもしている。50年前の人々に会って、「あなたたちの日常生活はそのようになっているんだ」って説明して、本当にそうなると信じてくれるだろうか。                 

 20世紀という時代では過去の歴史が全く参考にならないほど、ある種の突然変異が脳のなかで発生したようだ。それらの変化の兆し現象は60年代に殆ど出現し、90年代末期の今では完全に終了しているだろう。つまり脳のなかでの情報組み換え作業が60年代に起こり、本当の意味で新人類が出現している。その状況をもたらした主役は音楽だ。

「ハイテク時代によって人間は連結し合う」
 そのような世の中に合わせてインタ−ネットという名のネットワ−クが普及し、地球の反対側に住んでいる人達がリアルタイムでコミュニケ−ションし合いだす。脳が生み出した意識という世界では距離が消失し、何時でも違う世界とアクセスできるようになった。本当の意味においてガイアという名前の地球が一つになり、少なくても意識上では人類という生物が一まとめの個体になった記念すべき時代が20世紀なんだろう。ばらばらの状態で生命を育んできた人類が、いま正に一つの生命体になろうと進化している。
 我々人類は何億という数の精子がしのぎを削って、たった一つの卵子を目指して競争を開始したときから、命を得るための生存競争のスタ−トを開始した。たった一つの精子のみ侵入させるシビア−な卵子の選択肢にかなうと、受精卵という名の合体意識は分裂を始める。ようやく意識を結んだという暇もなく意識は二つに分断されて次々と細かく別れてしまう。妊娠期間の途中で細胞分裂は一通り集結するが、その時すでに一個の受精卵は数百億の多細胞生命体になっている。ばらばらに寸断された細胞の意識は多細胞全体にネットワ−クを張りめぐらせるために、おぼろげで危うい意識を明晰にするために意識の統一を図ろうと懸命になる。一つの細胞から生まれた意識は数百億の細胞の意識の基盤を形成
し、複雑なシステムを運用する役目を全うしなければいけない。そうできなければ人類として生きていけないからだ。

 そのような子宮のなかの細胞分裂と、現代社会が迎えているネットワ−ク形成は、逆行する形で同じ道を歩んでいるように見える。単細胞が多細胞システムを構築したのと同じ理由で、個人的に孤立した多数の人間の意識が20世紀末において一つにまとまろうとしている。その兆しを具体的な形で表現させたエネルギ−源が音楽という情報系である。ロックンロ−ルの勢いが意味したことは、若い世代への情報伝達に鍵があるということだ。常に新しい価値観を求めて彷徨っている人々から発見がなされ、悩んで苦悩する頭脳から発明が生まれてきた。脳は宇宙と直結している器官であり、60年代のドラッグ体験からその事実を実感した、それが若者の意識世界の冒険の結果だったんだ。
 ロックンロ−ルとドラッグが切り離せないように、カウンタ−カルチャ−とヒッピ−ム−ブメントは同根の意味を伝達した重要なパフォ−マンスだった気がする。既成の価値体系を破壊し、プリミティブな意識に戻ってやり直そうというメッセ−ジを発していたからだ。20世紀に生きていると機械化されたある意味で単純なメカニカルメソッドに陥りやすい。何もかもを割り切れる法則があると思い込み、単純で分かりやすい方程式ばかりを追い求めてきた。でも現実の世界はそんなに理解できることばかりで成り立っていない。
 訳の分からない秘密めいた部分があり、それらの集大成が世の中を動かしていたような気がする。人間の意識は孤立して存在するのではなく、集合することで何かを伝えてきたのではないか。何時だって人間は繋がって生き長らえてきたし、何よりも継続することを望んで生き続けてきた。遺伝子が人間の身体を創作しながら、時間を越えて連続する実体を残し続けてきた。それが歴史であり、存在の証明なんだろう。そこで問題になるのは、なにを残したいのかということだ。何を目的にして生きていけばよいのだろう。人間という存在にとって一番の謎は、生きる目的を探しながら最も其処のところが分かっていない、能力を十分に使いこなせていないところにある。人間が持っている能力のなかで最も分からないところは、意識活動という不可解な脳内現象だろう。