塩野 洋
(フリーライター)

 中国からの独立を求める運動が絶えないチベットは、昔から世界中の探検家や宗教家が 憧れた禁断の秘境だった。チベットが知られざる秘境として存在してきた理由には、世界の屋根、 ヒマラヤのふもとという過酷な自然と険しい地形によって外界との接触が少なかったこと、 輪廻転生の教えに基づいた独特の宗教観などが挙げられる。生命は永久に流転するという教えと 民族の伝統を堅く守り、自然と寄り添うチベット人の生き方から二十一世紀の地球の進むべき道が 見えてくるかもしれない。外国人の入域が制限されていたチベットをこのほど取材、旅の記録を 紹介する。

<高山病の洗礼>
 チベットは標高四千bから五千b級の高地がざらにある。チベットの自冶区の区都ラサは 標高二千六百メートル。日本の富士山の山頂ぐらいの高さだ。低地から一気にこんな高地に来ると、 高山病になってしまう。私もここで体に変調をきたした。乾燥しているため、のどが痛い。 手がしびれ、悪寒もひどい。三度ほど吐く。尿がわずかしか出ない。明らかに高山病の初期症状だった。 鏡を見ると、唇が紫色だった。私の旅は高山病の洗礼で始まった。今思えばこの旅ではいくつかの夢と 幻覚を見た思いさえする。  チベットの空は青い。かつてこんなに真っ青で澄み切った空を見た事がない。ある日、私はこの青い空を バックにくっきりと輪郭が浮き出た荒涼とした山々に囲まれた遊牧民の村を訪れた。テントの中をのぞくと、 日焼けして真っ黒な肌の男たちが寝転んでいた。彼らの目の前には大きな骨が突き出た生身のヤク(牛)の 肉がごろりと置いてあった。彼らはこれをさばいて昼食をとったばかりだったのだ。ヤクは「高原の宝」 と呼ばれ、チベット人の生活には欠かせないものだ。遠くまで旅に出かける時などは食料にヤクの乾燥肉 を担いで行くこともある。  彼らの村から数キロ離れた草原では麦の収穫に励む人たちの姿があった。チベット人はこの麦から作る ツァンバを主食にしている。まず麦を刈り取って乾燥させた後、家畜に踏ませ、風に飛ばしながら選別する。 この後、麦を炒って粉に引いて出来上がる。彼らの生活ぶりは極めて質素で、農繁期は一日三食の食事をとるが、 農閑期は二食で済ませるという。こんな牧歌的な風景のなかを旅するうち、私は驚くべきものに遭遇した。