竹岡 雅史

 [障害者の楽園として、ア−ティストと共に活動をしてもらう場を作る]

 障害者は彼ら本来の生きかたを探せず、一方的に難易度の低い作業を押しつけられてきた。しかし現実には手間とヒマをかければ、少なからずの人々が隠れた才能を開花させることがある。根気よく丁寧にア−ト技術を習得させる努力をすると、彼らは、彼らなりの世界に向けて集中できるように成長することが分かっている。要するに何をしたいのかを発見してやることだ。その気にさせる方向さえ分かれば、あとは障害を乗り越えて才能が育っていく。  

 ア−ティストと普通の人との違いが何かというと、彼らは自分自身だけの世界を持っているということである。同様に障害を持っている人達は、我々が見て経験している世界と異なる風景を見ている可能性がある。「五体不満足」の乙武君の生活体験の本があれほどまでに売れた理由は、手足をあらかじめ持たないで生まれた人間がどの様にこの世の中を見たか、その感覚を知りたいという人々の好奇心を捕らえたことにある。普通の人は手足がそろって当たり前で、もしも身体の一部に欠陥があれば生涯を通じて消すことの出来ないコンプレックスになり、その卑屈な思いをどのように解消するかと悩みながら生きるのだろう。

 しかし,彼を取り巻く環境の基本的な核である家庭環境、つまり両親は彼にそのようなコンプレックスを与えるどころか「可愛い!」という評価を下した。  家庭とは社会を構成する基本単位であり、社会とは家庭同様に温かい眼差しを身体に生涯がある人間に注ぐ使命がある。人間の為に成長をしてきたはずの社会現象が、人間を傷つける装置になったのは何故なのか?

 そのことを根源的に探るためにも、障害者をア−ティストとして優遇できる態度を我々は身につける必要がある。彼らが何を考えどのような気持ちでこの世のなかで生きているか、その事実に対しての好奇心を正直に照射することだ。すると五体満足の人間の度量のほどがかいま見え、自分のことだけをひたすら考えて世界を狭くしている風景が見える。  

 人生は芸術でありゲ−ムであり、究極の遊びの空間である。心から安心して満足できる自由を満喫できる舞台が社会であり、その環境を整備することが我々大人の役割である。はたして北海道は理想的な空間を世界に向かって提供できるであろうか?