竹岡 雅史

 ピリカレイラコンサ−ト−in北海道−を開催しよう!!
−明確な意図の元に、何をすべきかが分かって、
誰もが心から楽しめるイベント−

 いよいよ世紀末も押し迫り、何かが起きそうな気配もしてきた。自分がこの日本を変えなければ誰がやるのか、そのような気にさせる政治の稚拙で煮え切らない部分も目につく。歴史的な季節感から計ると、春が始まる寸前の予感に満ちる頃のような、切れ目が訪れる気配がある気がする。

 どこからも経済的な援助をもらわず、自分ひとりで生きていく旅立ちの季節が北海道にも来た。何処からも誰からも干渉されず、それでいて素敵な刺激を道産子に振りかけるチャンスだ。新しい形態の民主主義というか、誰もが参加することで政治的な責任を負う、権利と義務が程よくミックスされた、北海道型の自給自足体制を確立できるチャンスだ。

日本中が無気力になって、誰も将来に明るい希望を持てない今日この頃、絶好のチャンスが訪れている可能性がある。今のニッポン誰が船長となって操縦しているのか分からない、迷走するタイタニック号になってしまった感がある。怒濤のように我々を襲う連続した問題は、過去から現在まで先伸ばしにしてきた未来への負の財産だ。それを清算する若者をないがしろにして、子供が産まれないと年金制度が崩壊すると心配している。

 根本的に福祉を考えず欧米のモノマネを採用することが先進的と思い込み、鹿鳴館の頃から全く進化していない事実を認めない大人(老人)に若い人達はうんざりしている。近頃流行っている現象を分析すると、若い人たちと保守的な人種との戦争状態が開始されたことが分かる。神から授かった大事な体に入れ墨を彫り、痛い思いをして耳とか鼻に穴をあけてピアスを飾り、髪を金髪に染める心理を誰も理解していない。

 彼らは言葉にできない何かを訴えようとして、ボディ−・ランゲ−ジという最終手段で我々にメッセ−ジを発している、その位の気持ちで若者の流行りすたりを考えたほうがいい。自分自身が理解できないからといって、他人の伝えようとしている情報を無視することは危険で無謀だ。何故なら彼らはいつの時代でも予言者として、未来に待ち伏せる危険を知らせてくれる、貴重な天使の役割を果たしてくれてきたから。