ここでみなさんも考えてみて下さい。

 一般的なケアハウスでも介護サービスが必要になってきた時には、要介護認定を申請し要介護度が認定されれば、ケアハウスに居ながら通所系の介護保険サービスや訪問介護サービスを受けられるため、ケアハウスでの在宅介護サービスが行われています。施設にいながら在宅サービスを受けている矛盾はあります。 

 一方有料老人ホームとして国の基準を満たす施設基準・人員配置を行い申請すれば、特定施設入居者生活介護施設として介護給付(介護サービス)が施設において受けられるようになります。ここでは通所系のサービスも施設サービスも介護保険で賄う事となっています。 

 しかし、特別養護老人ホーム・養護老人ホーム・ケアハウス(軽費老人ホーム)・特定施設入居者生活介護施設(有料老人ホーム)・グループホーム、介護保健施設・介護療養型医療施設の施設の違い・入居の違いをすぐに述べられる人がいるでしょうか。

 このような運営方法のどこかに間違いはないでしょうか?

 老人を社会システムから阻害し、役に立たない人間を収容する施設という考え方を改めない限り、本当の意味でのケアはできません。ケアはあくまでも手助けでしかないのです。ケアすることで社会生活に参加できるような施設が必要なのです。

 ところで僕の本当の目的は、決してケアハウスを造ることではありません。

 たまたま僕も黄昏期に入ってきたので、仲間たちと一緒に遊ぶための場を考えたり、ゴジカラ村の一平さんの話を聞き、ケアハウスもいいかと思ったんです。

 本当の目的は北海道のすべてを使った遊び空間造りです。

 その妄想の一部を紹介します。

「アート・ライフ・センターとしての北海道造り計画」(仮称)

 多種多様な立場の人たちが、心を一つにする場所を創る試案
世界中のアーティストに呼びかけて北海道に住んでもらいます。
住んでもらうための条件は作品の売り上げ印税の10%を払ってもらいます。

  高い税率に悩んでいるアーティストに呼びかけ、北海道に住むなら一律に10%でよいことにするのです。特に高額な税金を納めて、虚しい使われ方に腹を立てている人々に住んでもらいます。

 ミュージシャンでも作家でもアートの種類は問わず、自分自身の才能を作品として生計を立てている人々。さらに今は売れていなくとも、将来性があると判断できる人。もちろん面接考査はありますが、資格を得られた人には住居と土地を無料で提供するのです。

 地方に空いている家作とか別荘を上手に買い取り、それを彼らに提供する公的資金を作り、彼らの創造活動に最適な環境を用意してやる組織を作ります。

 目的は世界中から優秀な創作家に住んでもらうことで、北海道には地球規模の頭脳集団が集めるのです。そして彼らには年に一回の発表の場が与えられ、コンサートとか展覧会とか講演会とか上映会などのフェスティバルを開催します。

 北海道にはお祭りがないといわれるけど、よさこいソーランのように自己発展する催しが育った。世界中のアーティスが集うことが出来れば、それら既存のフェスティバルを巻き込んで成長する可能性が生まれます。

 野性がよみがえる大地に繰り広げられる、新しい文化を作る試みが北海道の各地で展開され、それを観るツアーを観光の目玉に育てていきます。

 北海道も日本も、世界から孤立するのではなく、自分達の努力で自活できる体制を整え、自然とか地球から何かを奪う生活様式を変えるのです。

 つまり自給自足が出来る循環方法を考えながら、自然が与えてくれているパワー源を活用し、捨てるものが何もない生活をする。

 そこでそれを実現するプロジェクトを作り、少しの人から大勢の人々に考えを発表しながら、道民としての共通意識を育てていくのです。

 世界中に向けて北海道の理想を具体的に示し、生活様式から社会構造に至るまで、何から何までオリジナルな文化を作ればいいんです。

 理想社会を追求することを諦めた世界は、本当の意味で進化するのだろうか?
ということです。確かに共産主義は失敗しました。それゆえにユートピアを夢想することは馬鹿げたことだと思われています。しかし、果たして資本主義は本当に共産主義を崩壊させる力を持っていたのだろうか。あるいは共産主義を提唱したマルクスは肝心な何かを見失って、安易で傲慢な唯物論に陥っていなかっただろうか。僕たちが21世紀で考えるべきことは沢山あります。

 人生の中にあっても、一つの試みが失敗すると何もかもが同じような結果を迎えるという、安易な錯覚をしてはいないでしょうか?

 グローバルスタンダードに追従しようと競争意識を煽って生産能力を高めたり、将来の不安をエサにして思考を停止させることで、企業が人間をこき使う時代は終わらせる必要があります。それを実現させるには、人々の内部に眠っている可能性をひきだす試行錯誤を停止させないことです。

 そのためには個人的な直感による人生の選択願望を待たねばならないのです。
この世に生まれてきた以上、これだけはやってみたいという、生きる上での使命感を満足させなければ生きる意味はありません。

 時代の意識もまた、黄昏期にあるからです。

 今回はミネルバのフクロウ作戦というか計画を述べさせてもらいました。