竹岡 雅史

 決心すると事態はあれよあれよと過ぎてゆき、パスポ−トとかビザを取得しにオ−ストラリア大使館に出向いたり、あちらの情報収集に本屋に通ったりと忙しくなった。特に考えもしなかったのは、あまり英語が得意ではないというよりも、殆ど話せないということであった。聴くところによると、オ−ストラリアの言葉が早口で、とても聞き取りが難しく、生半可なヒアリング能力では太刀打ち出来ない語学ダイハ−ドな場所らしい。
 それは本当だった。まるっきり言葉が通じず、相手に何とかコミュニケ−ションを伝えようと思っても、マ−ガリンすら買えなかった情けなさはなかった。中学校、高校、大学と長々と習った英語は全く無駄 で通じず、ひたすら相手の顔色を伺ってはゲスする切ない経験だ。つまり、相手が何を考えているのか表情をうかがうことがとてつもなく困難で、それが白人だとアジア人には能面 の様な無表情に見えてしまうのだ。

僕がパ−スという無名の土地に滞在しようと思ったのは、何もこれといった理由があったわけではなく、妻が「オ−ストラリアのパ−スって世界でもっとも美しい街のひとつなのよ」という言葉だった。あれこれと空想してパ−スに思いを寄せ、異国で暮らす想像を 越えた体験に期待しては胸を昂らせていた。外国に住むってことはかなり刺激的なことで 、ひょっとすると今までの生き方さえも変わるかもしれない、なんて、いい加減で軽い気持ちで海外で暮らす計画を立ててしまったのだ。僕だけに限らず、これから訪れるであろう事態を想像して、想像したことが事実と全く変わらないということは殆どあり得ない。嫌なことであれ、楽しいことであれ、イメ−ジしている時が最も刺激的な展開をする。ものごとの筋道が都合良く流れるし、思わぬハプニングさえもがスト−リ−を面白おかしい状況にし、家族の誰もがハッピ−・ハッピ−で終了するのが普通だ。パ−スをイメ−ジするのにも同じような空想を、地図や写真集や旅 行案内を読んで組み立てていた。
 何となくハワイのような海辺の風景があり(ハワイは行ったことがなかった)、たぶん宿泊できる豪華コテ−ジは海の見える場所にあるはずだった。コテ−ジという響きがそのころは気に入っており、その室内にはウクレレの響きが似合うようなイメ−ジを持っていた。要するに南国とは楽天的で何事も単純で明快に過ごせる。この世の天国以外には思い浮かべられなかったのだ。僕はそれまでの辛い思いがそこですっかり消失してしまい、スッキリとした気持ちを回復して日本に帰ってこれると思っていた。だからパ−スでどんな苦労が待っているのかとは、全く予想だにしていなかった。