竹岡 雅史

そのようにして遂に歯医者という楽しくない仕事を止めて、オ−ストラリアの西にあるパ−スという名前の場所へと出発した。旅立ちを準備する気持ちは特別に嬉しいことなんだけど、長期にわたって海外に行くんだという気持ちを抱えて、あれこれ準備するのは大変なこと。向こうに着いたときの日常生活をどのように組み立てればよいのか、あちらでの事情が分からないから楽しいような困惑とでもいうのだろうか。フワフワしていて現実感のない未知との遭遇、そんな思いがけない未知への期待が身体中にあふれていた。
 苫小牧からもっとも近い空港は千歳で、クルマでほんの30分しか掛からない。しかし出発の日は3時間前に空港でウロウロして、あらゆる売店をひやかしていた。心はすでに旅だっており、空港をほっ突き歩いている楽天ゾンビの様なものだった。心は其処になくひたすら出発ロビ−の椅子に座って、搭乗すべき入り口ばかりを眺めて過ごしていた。間違っても乗り遅れてはならず、家族全員の人生におけるもっとも重大な出発の儀式だった。緊張していて昼食をとるのも忘れて、ついに12時30分の定刻きっかりにB747は千歳を飛び立った。
 5分もすると飛行機の窓からは苫小牧の海岸が見え、直ぐに海以外は見えなくなってしまった。ようやく落ちついて東京に着いてからの手順を考えたり、出発までに空いている一日の過ごし方などを計画した。東京へ家族全員が行くのは何年ぶりか、美味しいものを食べたり動物園で遊ぶのも悪くはないだろう。同時に僕は、歯医者を止めて海外逃亡することの影響を考えはじめていた。これからどうしたらよいのか無謀にも計画はなく、何とかなる手だてさえ考えていなかった。バンジ−ジャンプを飛んでから悩むように。

 いつも無謀な選択をし、そのうち何とかなるだろうとここまで生きてきた。だからこれからも何とかなるだろう、人生とは無計画がいちばん自然なんだと。確かに今まではそのように展開したけれど、これからも脳天気な生き方が通用するかどうかはわからない。でもいつだって先のことはわからないし、不安が心から去るような完璧な生きかたは出来ないだろう。だから旅をするような気持ちで人生を歩み、逼迫した時点で働けばいいと思っていた。  思いを巡らせているうちの羽田へ定刻で到着し、荷物とも家族全員がどうやら上野のホテルにたどり着いた。久しぶりの東京を見物しながら散歩し、神田の本屋とか秋葉原の電気街をひやかす。宿泊先が動物園のすぐそばだったので、時間があるかぎり見物して回った。夕食を済ますと何もやることがなくなり、ウダウダとテレビを見ながら寝る時間が来るのを待つ。本当に久しぶりでのんびりした。
 翌日は結構忙しく、銀行に行って海外の口座を作ったり、両替をしたり当面の日常品を購入して午前中はつぶれる。午後は各人の自由時間とし、僕は活字に飢えると困るので、かさばらない文庫本をまとめ買いする。これは後で役に立ったが、出来ればよく中身を吟味すればよかったとも思った。音楽に関しては殆どテ−プに収録してあるモノで我慢する ことにして、あとは専ら向こうのFMラジオを聴いいたり録音するつもりだった。  子供も妻も必死に自分の世界を構成しているグッズ漁りに懸命で、集合の約束時間をかなり遅れた。それでも心はウキウキソワソワなのでニコニコしている。いよいよ明日からはしばらく日本に帰ってくることが出来ない、そんな気持ちに高揚していった。 翌日は朝早くから目が覚め、朝食もそこそこに動物園の脇を通りに抜けて、成田までの特急電車へ急いだ。ところが昨日買ったばかりのトランクキャリア−が、情けなくも壊れてしまう。当然のように余計な荷物の重さは僕が負担することになり、みんなについて行くのが辛い羽目になった。汗は出る両手は張るで、くたびれながら後を追うのはみっともない恰好だ。それでも必死になって特急に乗り込めば、出発までのわずかな時間にビ−ルを買ったりでくつろぐ。