竹岡 雅史

「小さな島に湖があった」    3月1日 木曜日
 早朝6時50分にレストランへ行くが、コ−ヒ−も飲めずパンを少々持ってきた。7時には早々とピックアップされ、トラックの荷台に乗って船着場に。アントン諸島はここからモ−タ−ボ−トで二時間弱かかり、僕たち以外の人も乗るので待ち合わせるが、ツア−の嫌なところはこの待ち合わせだ。それでも20分ほどするとドイツ人と思われる一団が着いた。僕等を入れて総勢で八人を乗せて、船外モ−タ−単発のボ−トは出発した。
 乗ってから分かったのだが、彼らはドイツ人でなくてチェコ人で、ドイツ人と違って底抜けに明るい奴らだった。ジョ−クを連発しては笑い転げ、僕らが日本人と分かると「笠井、船木、原田、ジャンプサッポロ!と叫びだした。アントン諸島に着くまで叫びっぱなしの、とんでもなく愉快というかうるさい連中だ。
 シュノ−ケリングは魚が豊富で、珊瑚礁もあって良かったが、深いところは透明度は今ひとつ。それでも島と島のあいだの浅いところを行ったり来たりしながら、長い間潜って楽しかった。一時間以上も潜ってから、違う島へ行って今度は崖のような斜面をよじ登って、島の中央にある湖を見物する。その湖は海とつながっていて、イカやフグなど海洋のモノが泳いでいた。熱帯魚は色が豊富で綺麗だ。
 次の島でランチを取ったが、中華料理の具をご飯の上にかけたやつ。そして食後に再び僕らはシュノ−ケリングだったが、チェコ人達はなんとシ−・カヤッキングで島巡りに出掛けた。僕らは単にシュノ−ケリングのツア−だったが、彼らにはカヤックも付いていたそうだ。僕たちもオプション料金を払えば同行できると言っていたが、金を払ってまで風も強くなった海でカヤックを漕ぐ気にはなれなかったしで、400バ−ツをパス。
 帰りはみんなで歌ったり合唱が始まり、冗談と馬鹿話の応酬だったが、僕たちはチェコ語はチンプンカンプンで、彼らは英語を喋れないので詳しいことは分からなかったけど、面白そうだったから笑って答えていた。
 エンジンが不調になったら、海のど真ん中で飛び込みを始め出す。その挙げ句溺れたから助けてくれ−っと、ばしゃばしゃボ−トの回りを泳ぎだした。「サメの背びれが見えるぞ−っ」という声で、あわてて上がってきた。どうしたらあんなに騒げるのだろうか。
 ボ−トの操縦をしたタイ人の若者は言葉が喋れない障害者だったが、ボ−トを自信満々で操縦して見ていて気持ちが良かった。タイでは障害者が健常者と同じように、普通の仕事を当然のようにしている。どうも差別意識とかは無いようだ。そんな彼もチェコ人には驚いて笑っていた。船着場に到着してから皆で記念撮影をする。いや−っ騒々しかった。
「サヨナラ、サヨナラ、サクラ−ッ」わけの分からないまま別れの言葉を交わした。
 日焼けはタイ人と変わらなくなるくらい濃くなる。何だか熱ぽくなったので、ロキソニンを服用する。
 言葉が理解できたら、旅は本当に楽しくなるだろう。つくづくそう思った一日だった。英語くらいなら何とか分かるんだが、チェコ語はドイツ語のように聞こえたので、間違ってドイツ人かと聞いたら、突然怒りだした。ドイツ人はファシストばかりで大嫌いらしいから、そんならロシア人かと聴き直すと、もっと怒っていた。チェコ人にとってドイツ人もロシア人も、どうしようもなく嫌いらしい。言葉が理解できたらどんなに面白かったことか、もっと詳しい話を聞きたかった。
 いったい何語を勉強した良いのだろうか。