竹岡 雅史

 「やっぱリゾ−トも飽きる」    3月3日 土曜日
 サムイは景色が美しく、食べ物も美味しくて文句なく気に入った。けどまた旅に出たくなった。毎日が昨日の続きになって、少し退屈を覚えて島から出たくなった。なんて贅沢なことをと自分を戒めるのだが、正直な気持ち旅に出たいとわがままが湧きだしてくる。
 午前中はビ−チでゴロッと寝ころんで、本を読んだり海で泳いだりプ−ルで砂を落としたり、またまたゴロッと本を読むを繰り返す。午後には借りっぱなしのバイクに乗って、島中をぐるぐる巡るツ−リングに出掛け、ビ−チをブラブラしたり山中の道に入ったり。
 椰子の密林は凄い迫力があるし、バナナがたわわにぶら下がっていて感激もする。直射日光が眩しくてクラクラするのも好きなんだけど、僕が探している楽園は此処ではない。僕の意識の深いところで記憶している楽園は、もっとアバンギャルドな冒険があった。
 予期せぬ出来事が時々発生し、退屈になるほどヒマを持て余すこともなく、常に適度な刺激が振りかかる楽園だ。油断すると騙されることもあるけど、危険を回避する技術を身につける楽しみがある、何かをクリア−して前に進む刺激が欲しい。刺激のない生活は飽きてくる。やっぱリゾ−トは飽きる。
 要するに何もすることが無くなるというか、旅をしながら好奇心を満たすという、日常生活から離れたいという意識が消えそうになるのだ。僕たちはタイのサムイ島でアジアンリゾ−ト気分を堪能しに来たのだが、リゾ−トで暮らすということが日常的なモノなった瞬間、その日常性を打破する旅に出たくなってしまった。椰子の木陰でビ−ルを飲んでるだけで幸せになれた気持ちが、景色がありふれたモノになったように、大したことでなくなった。
 というわけで、早くも次なる旅に対する計画が脳裏に浮かび、サムイ島からの脱出がこれからの目標になる。そうなると島に観光に来ている白人、特にドイツ人のマナ−の悪さまで気になってきた。彼らの殆どは、ビ−チで飲み食いしても後片付けをしないで置きっぱなしにする。あきらかに未成年の現地人の少女を同伴し、何やらおかしげなことを人前でする。バイクをガンガンとぶっ飛ばして大声で騒ぎまくり、決して本国では出来ない憂さ晴らしをしている。
 彼らはアジアに羽目を外しにやって来ている、それは理解できるのだが傍若無人が過ぎるのだ。サムイ島は植民地ではないし、現地人はかなり礼儀正しい文化を持っている。そこにヨ−ロッパの場末の狼藉文化で、何だか汚らしいモノを放出しているように映った。
 サムイ島に僕たちが飽きてきたというより、西欧的な風俗がここにも溢れてきたことを感じて、何となくガッカリしたんだろうとも思う。
 秘境とか自然で素朴な生活を続ける島暮らし、そんな無いものを求めてサムイに行ったわけではない。でもひょっとするとタイ人だけの日常があり、僕たちもその中で過ごせる期待はあった。