竹岡 雅史

 脳は豆腐のように柔らかく、形を保つことさえ頭蓋骨が無ければ難しい器官だ。構成は神経細胞とグリア細胞と血管からなり、血管とグリア細胞は老廃物と栄養素を運び、神経細胞が脳としての機能を発揮する。神経細胞には数万個以上の接続部分があり、その部分をシナプスと呼び多数のネットワ−クを形成している。大脳皮質だけでも140億個以上の神経細胞があり、その他の脳の部分(各々が数百億の神経細胞を持つ)と連絡し合う。
 動物の脳も人間の脳も神経細胞の機能に違いはなく、脳のどの部分が大きな領域を持つかで機能の変化が出てくる。人間が他の動物と違うのは、大脳皮質で意識的な思考や言語をつかさどる新皮質が発達している点。特に大脳連合野が発達した人間は、脳に内部世界を作って外部から入ってくる情報処理をしたり言語認識をしている。
 知識として学習された認知記憶は大脳の辺縁系にある海馬で保存され、体で覚えた運動記憶は小脳に保存される。神経細胞をつなぐシナプスの情報伝達効率が固定されると記憶され、学習や経験によって情報刺激が変化すると固定された効率が変化する。その情報伝達回路が記憶の構造になる。記憶したり忘却するメカニズムは仮説の域を出ていないが、小脳は大脳が取り入れた運動機能を判定している事は分かった。小脳は運動をする際の複雑な神経と筋肉の連動機能を記憶し、大脳が判断した運動記憶として認識して保存する。
 脳の主な働きは、物事を認識したり、運動を制御したり、学習・思考・言語などの知的活動を集大成することだ。複雑な感情とか、自分自身をどのように意識しているか、新しい考えを創造することも脳の役割だ。コンピュ−タ−と脳の違いは自我意識の発達と、アイデアの創出や感情を持つところだろう。自我が強くて新しい思想を考える、感情豊かなコンピュ−タ−はもはや機械とは呼べない。脳の機能のなかで不思議な部分は、夢を見たり予感がする無意識の世界があることだろう。
 科学的な研究で分かるのは脳のどの部分でどんな働きをしているのか、機械的な反応系を探ったり化学的成分の及ぼす影響を追求する程度である。本質的な脳の機能が理解できないのは、無意識系の領域に立ち入るメスを持っていない理由による。無意識は普段使わない領域だから必要がないというのは間違いで、運転するときの距離的な感覚やスポ−ツで体の動きを制御する機能には、意識的な作業よりも無意識な自動的機能が多い。歩くとか自転車に乗るという行為を意識的に説明できるだろうか?日常生活で何気なく使っている能力は、殆どが無意識に(脳が意識していると感じることなく)繰り出している。
 夢はその中でも特に変わった意識の変容を認識させる、極めて特殊な脳内現象である。夢で見た現象の意味を探ろうとしても、確実で具体的な意味は見つからない。夢判断のあいまいな解釈はいい加減で信用できないし、納得できる解答を与えてくれたことがない。欲求不満で過去の出来事に縛られたシンボルばかりで、脳の将来性を馬鹿にするセックス絡みの症例で嫌になる。確かに夢は変てこで訳の分からないビジョンを見せるが、何となく納得できる問題提起をしていることもある。否定しがたい自分自身の心模様を見せられて思わず赤面する、そんな感情になって目が覚めることも多い。
 脳の機能の中で特別に分からない機能が夢だ。夢の機能が解明できるなら、脳の役目の殆どが理解できる。目覚めて意識として確認できる現象より、夢で見たイメ−ジのほうが強力な印象を残してくれる。確かに現実の世界のほうが強力に精神を不安に陥れたり、喜びや快感を味合わせてくれる。夢の凄いところは、現実の世界では思いもしなかった心の別な面を見せてくれることだ。つまり夢は現実世界で発生した体験を癒してくれ、精神的な悩みとか将来に対する不安感を和らげてくれる効果を持っている。
 現実の生活で感じている現実的な経験とは、肉体を保持している生身の自分自身の甘受した結果である。しかし生身の自分自身は甘受した経験をそのまま解釈できないメカニズムを保持しているため、全く別な視点に於ける脳内現象を解説するシステムとして夢を見る現象を生み出した。夢を見るという脳内現象からもたらされることは、間接的に自分自身の行為を反省するフィ−ドバックシステムを構築してきた。人間はいたずらに夢を見ているのではなく、なんらかの効果を期待して夢を毎夜解釈しながら進化してきたのか? 
 人間は自分自身をより確実に深く知るために、夢を見ながら瞬間的に忘却するというシステムを脳のなかに植えつけて進化してきた。夢ほど忘れやすくはかない脳内現象はないが、かといって印象深い現象もないだろう。忘れ去ったと思いながらも、ある突然の如く過去に見た夢の内容が浮上することがある。意識的に捉えてはいないが、無意識の貯蔵庫に保管されていた事実を知ることがあり、過去において経験した屈辱的な体験とか、感激して涙をなした映画とか音楽のことを思い出すことがある。それらの現象を再現させてくれる装置になることもあれば、全く違った解釈を与えてくれることもある。