竹岡 雅史

 意識の作用が素粒子レベルに影響を及ぼすということは、自分の考えたことが他人の脳細胞を構成する素粒子群に刺激を与えるということになる。言葉や文章が意味を伝えることは分かるが、思っていても外部に出さない情報も知らせることができる。人間もいつしか言葉を捨てて、心模様を明確に伝達できる時代が来るかもしれない。生物が何らかの目的を持った構造を脳のなかに築き、それが進化しながら洗練されていく。こんなことを話すと実存主義者たちから嘲笑を受けるだろうが、偶然から発生した結果を保存する普遍的な構造は出来てきた。進化を重ねて現在に至ったのであれば、進化の定向性は偶然の結果が生命現象を通じて維持・排除されることで表出する確率的な全体像であった。

 人間はひたすら情報を意のままに伝え会える手段を発見し、単細胞生物が多細胞生物に集合するようなネットワ−ク形成をしている。自分の外側にもう一つの脳を作り、巨大なアンテナを周囲に張りめぐらせ、宇宙の中心に意識を集中しているかのようだ。しかし何のためにそのような方向に進化してきたのだろう。たぶん宇宙の存在理由と関係がある。と言うよりも、我々が宇宙そのものなんだと思えてくる。
 我々が目にしていることだけでこの世の中が成り立っているのではなく、感知することができない要因が後ろから押していることで成立することも多い。アインシュタインの方程式が宇宙の諸現象を説明できても、その公式の意味を理解できた人は少ない。ある時代には理解できなかったことも、何年か経過すると誰もが当たり前の知識として使うこともある。20世紀の始めには誰も知らなかったDNAという名の細胞成分が、あらゆる種の生命体の最重要なモノであることを我々は知っている。
 現在のス−パ−マ−ケットでは計算する能力のないレジ係が、バ−コ−ドを読み取る道具で自動的に煩わしい集計処理をこなしている。同時に便利なコピュ−タの能力を利用することに安心していると、自分自身の能力も衰えることも否定できない。技術の発達に合わせて社会を構成していくと、人間の精神的な発達に見合った社会に到達しないことがある。科学的なハイテク技術が人間を越えコンピュ−タが主導権を握る可能性が出てくる。
 たった一握りの人間が作った仮想現実の世界が、人類の意識現象を操作する事もあるのだ。人々の意識が統一された画一的な世界、それを目指して画策しているのがアメリカだ。コンピュ−タを駆使できる人間は、創造するイメ−ジがコンピュ−タの応答できる範囲でしか通用することに気づかない限り、新しい何かを発想できる次元に到達できないジレンマに悩むだろう。つまり機械化された規格で構成された社会では、科学的技術の魔法から覚めることが難しくなる。
 現在の時点で目に映っている光景だけが世界の総てだと思っていると、次元の違う状況にであうと理解することを拒否する傾向になる。例えばUFOとか宇宙人とか死後の世界を有りえない虚構として無視することで済ましてしまうのだ。我々自身が目に見えない素粒子で構成され、隙間だらけの肉体を駆使して生命活動を営んでいることに気づかない。原子が宇宙を構成しているアルファベットで化合物という名の単語を作っており、DNAという長い文章で人間という存在を表現している事実すら意に介さない。
 顕微鏡でようやく観察できる存在の影響を感知するためには、それなりのパワ−アップ装置を身につける必要がある。素粒子とか原子は人類の存在意義と意識形成に深く関与しているが、その事実を受信している脳細胞のネットワ−クがそれを認識できていないのが現状である。目で見ることは出来ないし、その一つずつを触って感じることも出来ない。生命現象を駆動している生物は、素粒子を材料としてDNAというチップにし、自らの身体を作り上げている不思議な事実に気づいていない。宇宙を認識できる存在が自己意志であることに気づきながら、その自分自身のシステム駆動系を認知できないでいる不思議。
 それでも個人の脳が地球規模でネットワ−ク形成する世紀末を越えるや、夥しい数の並列につながれたヒュ−マンコンピュ−タが出現すことになる。それは次元の違う認識できない世界の機能が、個人から種のレベルに拡大されることで浮上する現象だ。出来上がって始めて理解できることなので、現時点では誰も気づいていないが、無意識に人間がそれを目指している可能性もある。もしその巨大なコンピュ−タ−情報をダウンロ−ドする事ができた人々は、意識が変容する程度の衝撃を受けるだろう。進化することに夢中になって作り上げたモノが、意識を変容させるくらいの衝撃を神経ニュ−ロンに与え、結果として価値観とか思考法や感受性が変化することもあるだろう。つまりニュ−ロンの回路の組み替えが行われ、全く新しい脳を使いこなす新人類が登場するような。

 宇宙は限定することなく非決定的なランダムさで認識をし、人間に対しても多彩な自己表現を許してきた。総ての生物を人類からさらに超人類に押し上げたり、逆に引き戻そうとする方向に回帰させようと働きかけることなく、生物種の自己認識能力の発展に委ねてきたのだろう。それは神の意図の実現に生命現象を進化させたのではなく、生物の存在が自らの認識能力を高める方向に宇宙も拡大しているからだ。
 無限に巨大な宇宙は特定の形態を持たず、外物に作用する身体感覚を持たず、一つの生き物であり、自らの内側に完全なる霊魂を持ち、生命あるモノ総てを包み込み、その総てである。(ブル−ノ)生命に宿る自己決定能力、自己意欲、予感、直感、自分自身への眼差し、すなわち魂であり意識である、自分への首尾一貫性こそ生命が内在させているエッセンスである。