竹岡 雅史

 20世紀の機械文明をコントロ−ルする道具として、発明され利用されてきたコンピュ−タがある。大型のスパ−コンピュ−タの機能を失うことなくコンパクトにまとめた、ヒッピ−が考案したマッキントッシュ・アップルは個人の道具に仕上げられた。彼らは脳のなかに展開されるビジュアルな、ドラッグ体験からもたらされたイメ−ジをCGとして取り出すことに夢中になる。言葉では説明不可能な異次元の意識体験を、何とか現実の世界で表現しようと電子ホビ−フリ−クになった。それがきっかけである。
 企業と軍事産業がそのメカニズムと可能性を認識すると、世界中の人類も電子ホビ−クラブの仲間入りをした。それはドラッグで体験したハイテク世界の現実化へと社会を動かし、科学的な技術そのものの発展さえもコンピュ−タに合わせられる。結果として世界はハイテク無しには維持することのできない、いびつで片寄った生活をする人間を生んでいる。このハイテク社会はドラッグ体験でかいま見た、夢の理想郷を実現させるのか?
 ドラッグの脳に対する刺激が、コンピュ−タ−という名の意識のアウトプットツ−ルを作らせ、あっと言う間に未来を引き寄せてしまった。世紀末とは時代の区分を指すのではなく、我々が構築してきた社会を支えてきた暗黙の了解と、意識の裏側に抑えられてきた潜在意識が浮上する時期のことをいう。旅とは人生を通じて経験す様々な試練の総てで、アジアとは20世紀の舞台になった場所を表し、世紀末とは2000年問題を目の前にしながら手を拱いているタイタニック号の状況を指す。

 「世紀末的な兆候が若者の体に現れてきた」
 最近の子供は乳歯がうまく抜けない、歯並びが悪いのでモノが上手に噛めない、口を閉められないのでポカンと開けながら口呼吸をしている。親不知が正常な位置に生えないので横向きなっている、唾液の分泌量が少ないので歯周病が増えている。現代の若者の変化を上げるとキリがないくらい問題が浮上してくる。
 今日は近頃の若者に世紀末的な兆候が見られる、そのことについて詳しく話してみる。母乳を飲んでいないので吸う力が弱いし、離乳食が早すぎるのと柔らかいために、口の周囲の筋肉の発達が不足している。それゆえにモノを噛む力も弱く、口を中心とした顔の筋肉の発達も遅れている。顎を取り巻く筋肉が発達しないと唾液の分泌能力も少なくなり、食事のときに良くモノを噛まないで水やを飲料水で流し込む傾向がある。
 唾液の分泌料が少なくなると味覚異常も起こり、味が分からないから水分を補って流し込むとも言える。モノを良く噛めないということは、歯でモノを感でいるという感覚が脳に伝わらないこととなり、長じては脳の発達が遅れることにも連なっている。痴呆症とかアルツハイマ−にかかる人の特徴は、歯を失っている人に多く発生している事実がある。今述べている症例は歯科関係のことでしかない。

 じつは全国の医療関係者から深刻な問題の症例が報告されており、ニッポン中でただならない若者の体の危機的な変化が起きているのではないかと、まさに世紀末的な情報があるのだ。「買ってはいけない」のような特定の商品攻撃では解決できない、生活の様式そのものに問題があると言えるらしい。
 若者の体つきが最近変わっているような気がしているのは、街を歩いているときにすれ違う女の子を見ているときに多くする。長身でスリムで、そのくせバストは大きい。本来のニッポン人はバストが大きい場合、総じて身体全体もふくよかだった。スマ−トになってきたというより、変な方向に変わってきている感じがする。背が高く足が長いのだが、身体全体とのプロポ−ションから受ける感じが、奇妙にアンバランスなのだ。身体に厚みがなく、腕を始めとして四肢が細くて首が頼り無く、まるで高齢者のような姿勢なのだ。
 顔が細いために顎が小さくて口許が貧弱で、骨盤も小さくて歩き方もおかしい。特に気がつくのは背中がS字状に曲がっており、髪の毛も薄くて少ない。これは僕が意地悪く観察しているのではなく、20年前にNHKで作った番組ですでに言われていたことにすぎない。その番組の名は「警告、子供の身体がむしばまれている」といい、見た方もすでに忘れていることと思われる。

 1978年度の放送では、60年代では遠足についていけない子供が増え、73年では子供の手が不器用になっており、75年になると背筋力の低下が問題になっていることを取り上げている。転んでも手を出さないので顔から突っ込むとか、瞬きが遅いためボ−ルが飛んできても避けられないとか、子供の疲労度が農繁期の主婦と同じくらいだと明らかにしている。1000校の小中高に子供たちの状況をアンケ−トをとって調べてみると、実に様々な症状が出ていることが分かる。顔や頭にけがをするとか目に込みが入りやすいとか、骨折が頻繁に起きたり朝礼時に卒倒するとか。驚くのは高血圧症や動脈硬化と合わせて、腰痛や肩凝りに悩むということも出てきた。足踏まずが形成できないためにバランスを失いやすく、足の裏を使って木登りが出来ない。消化性の潰瘍ができたり、体温が低く朝からあくびばかりして、物事に集中できず休み時簡にはボ−ッとしている児童が多いという。大都市の学校ほどその傾向は多く、骨折の多いところでは5人に一人もいたという。

 人間が動物として持っていた本能がなくなってきているらしい。現代に至っては脳のなかの意識にまで警告がなされている。若者が見たり聴いたりすることや、考えている内容が理解できないほど危ない状況にあるという。顔黒にしてピアスを耳・鼻・唇・へそから生殖器に至るまで身につけ、入れ墨を彫ったり髪の毛を原色に染めている。彼らは自ら自分自身の身体を傷つけて、人類がかなり危ないと警告しているのだろうか。
 団塊の世代以前の人たちは、少なくとも親から授かった身体を傷つけるファッションはキッパリと拒否した。ヤクザの世界に身を落とした訳でもないのに、自らの意志で大事な体に傷をつけることがオシャレに通じるとは思えなかったから。なんだか頭のなかで考える何もかもが違っているような、互いのコミュニケ−ションが通い合わないような状態になったような気がする。彼らは自分自身の体はいつでも交換可能な、サイボ−グかロボットのように思っているに違いない。
 臓器移植が当たり前になってからそんなに時間は経っていないが、いったんその事実を認めてしまうと元には戻れないような気もする。人間は体のあらゆるパ−ツを交換できる、それを認めるとまるでサイボ−グかロボットになった気がする。な−んだ人生は何回でもやり直しが効くなら、捨て鉢になってやりたいことをやってもいいジャンて気になる。

 大人は胡散臭くて説教じみた能弁を垂れるけど、やってることは他愛のない繰り返しだ。結局、奴らの価値観を否定しながら生きればいい、そんな気になってみると怖いことは何もない気もする。ヘンシ−ンと言いながら、髪を染めたり耳に穴をあけることも快感だ。でもそれは意識が決めた事なんだが、無意識の次元で何かが始まっていると面倒になる。自分の意識が関与できないステ−ジで世の中が引っ繰り返るような事態になっているのに、訳も分からずに自分自身の意識が関与していると状況になる。それではまるでアルツハイマ−に罹患した、情けない自我意識の崩壊を認めるようなものだ。人生の究極の目的は子供たちに尊敬される親になることであり、子がなければ誰からも親切で思いやりのある人だと認められる人間になるとだ。若者に罪をかぶせるのではなく、責任を自分自身の生きかたに認めたほうが潔い。
 ところが若者と大人たちの価値観があまりに違いすぎて、互いに考えることも住んでいる世界も違うとしたら、コミュニケ−ションが取れないのでは。まさかそこまで違うわけではないだろう、コミュニケ−ションが取れないなら別種に生物じゃないか。と思うだろうが、案外脳のなかですでに何かが始まっているような気がしてならない。若者に起きているであろう変化は、ひょっとすると種として変化なのか。
 生まれたときから母乳を吸うことも少なく、むせかえるほど粉ミルクを飲まされ、尻に当てられるのは紙オムツだ。おっぱいを吸うこともできなくて、小便をもらしても気持ち悪くないから泣く理由もない。生まれた時点から母親の存在は希薄で、ケ−ジ飼いの家畜のような状況で育っている。栄養を受け入れることも、排泄をすることも、いわゆるオンもオフもないスイッチの様な機械として育ってきた。サイボ−グになる下地は出来ていたのだろう。彼らはあらかじめ人間性を失っていた。                 
 たぶん宇宙戦士ガンダムがモビルス−ツを着ているような感覚で、肉体のなかに意識を滑り込ませるように生まれてきた。生まれたてのころからサイレント・ベイビ−と呼ばれ、泣きわめいて外部とコンタクトを取る欲求も少ない。ところがそのような子供たちが未来を暗示しており、人類の行く先を身体で表現している可能性がある。