竹岡 雅史

 北海道には自然が保存されているが、野性的で大型哺乳類が自給自足できる環境はあるのだろうか。(野性を回復する試み)

 エゾシカが増えすぎて困っているという声は聴くが、野性動物がこんなにも豊富なんだという喜びは上がらない。世界中で種の滅亡が叫ばれているなか、北海道では贅沢なことに野性動物が多数生息している。この事実を観光資源として生かすことはできないだろうか?北海道を訪れるたびに必ずエゾシカとかシマフクロウを観察でき、ヒグマとゴルフ場でばったり出会って驚いたとか、思いがけないところでダチョウやアライグマの姿を見てしまう。在来種であろうと外来種であろうと、人種が異なり文化が違っても、北海道では不思議にうまくいく。従来の生態系を越えた、住みたい種類が棲み分けながら存在を主張する大地。
 西洋も東洋も試みなかった、新しい概念と哲学を構築する時代が21世紀なんだろう。冬があり春があり夏が訪れ、何もかも枯れはてる寸前の美しい秋がここにはある。世界中を旅して感じたことは、北海道は格別に恵まれた四季の明確な大地だという事実がある。オ−ストラリアの赤土砂漠や、ヨ−ロッパの萎びた森林や、モクモクと煙がたなびくアマゾンの流域や、アメリカ大陸の人工的な大規模農地帯を眺めると、北海道はかなり恵まれた大地だと思える。あえて試されなくとも、キッチリ自立できる可能性を蓄えてきた。
 恵まれた自然に囲まれた北海道を考え直すいいチャンス、それが現在という時代が直面しているやり直せる側面である。考え方の視点を変えることで危機が転機になり、どん底が出発点にもなる。北海道でしか出来ないことをさらに発展させて、世界中の人々にアピ−ルする具体案とは何か?

〔グリ−ンベルトをつくる〕
北海道中の国立公園を自然(野性)の道で結び、動物たちの移動が可能な循環性を考える。阿寒国立公園と知床や根釧原野のグル−プと、大雪山系と日高の山々を結ぶグリ−ンベルトを建設し、長期的には洞爺支笏公園やニセコ等をつないで、野性動物が自給自足できる環境をつくる。
 その野性地域を縄文ゾ−ンとして制限付き入林許可証を発行し、ル−ルに則った観光資源として育てていく。(手つかずの自然を育てる試み)
 国立公園を結んで出来る自然保護ゾ−ンは縄文時代の採取生活が再現でき、周囲に住む住人は弥生的な農業中心の生活(有機的な農薬を使わない方向の)が出来るようにする。山菜の収穫は動物を第一に考え、野性生物の生態は自然に任せられる状況を回復させる。農業における害虫対策もハ−ブを利用するとか、土壌の改良や肥料の開発を計る。
 目指すことは何も捨てない、無駄を作らず循環する生活。自然環境は野性のサイクルで循環し、人間はそれらを守りながら物資のリサイクルをすることで、大量生産大量消費のグロ−バルスタンダ−ドから距離をおく。言葉は何もかもが英語で、通用する基軸通貨はドルで、ハリウッド製の映画とコンビニスタイルの商店ばかりではない、北海道オリジナルな文化を目指したい。そのためにも我々が住んでいる北海道という大地の可能性を掘り下げる、知恵が自然に湧いてくるようなシンクタンク基地を作るべきだろう。土も水も植物も人間も、あらゆる存在は地球を循環しながら我々の元に返ってくる。 農薬が土にしみ込んでやがて川から海へと拡大され、魚や農作物を経て人体に入り込む悪循環が必要悪としてグロ−バルスタンダ−ドになっている事実がある。本来の自然循環は海に溶け込んだ土の成分とか、蒸発する水分に含まれる自然のエキスが大地に降り注ぐことから始まる。新鮮な土には昆虫の幼虫やカビ、多数の微生物が共生しながら生きており、太陽からのエネルギ−を蓄えた草や木の死骸を分解している。この生物群の量は土の重量の3%もあり、不思議なことに人間の体内にも3%の消化酵素と微生物が生息している。微生物や昆虫が仲介をして糞尿や排泄物を堆肥に完熟させ、その土の成分が野菜や穀物を育て、人や動物がそれを食べてエネルギ−に変換し、そのカスを再び堆肥として土に返していく。それが地球の循環サイクルだった。
 野性を取り戻すことが可能だという事実を世界に向かって証明する、その事実だけで観光は成立する。究極の観光資源は(自然)野性に尽きるのだから。地球規模の循環系を保持した生活様式を確立することで、こぞって世界中から見学者が訪れる可能性もある。物見遊山の観光旅行から、史跡を訪ねながら歴史を考察する学習型の旅とか、自然環境を考えるエコロジ−ツア−が主になっているからだ。

「ピリカ レイラ プラン」−美しい風がそよぐ大地−

 北海道という名が私たちの住んでいるこの場所に与えられている。そのことに疑問を持つ人は少ないが、かつては蝦夷と呼ばれる以前では地名というものがなかった。我々が住んでいるこの大地は、神々が与えてくれている世界そのものだったので、名前を付けられなかったのだ。名前を付ける必要もなかった。ひたすら恵みを甘受し、あるがままの自然を受け入れることがかつては人生そのものだったから。
 我々は試される大地「北海道」に生きているのではなく、輝いて生命を蘇らせる四季が巡る場所に住んでいる。そのことの意味を考えてみよう。