竹岡 雅史

 遺伝子の組み替え作物を否応なく摂取させられる、危険で画一的な生活を避けられるか?(北海道が自給自足を急がなければならない理由)

 DNAという名の言葉が遺伝子を表現することを知っている人は多いが、そのメカニズムに手を加えると農業市場を独占できることを知る人は少ない。遺伝情報を貯蔵しているDNAの意味は書き換え可能で、書き換えることで生命体としての植物や動物の存在理由も変わってくる。つまり自然のサイクルが人間至上の命題を満足させる、極めてエゴイスティックなシステムに変換され、地球の環境全体はヒト族の欲求だけを満足することに専念させられる。地球どころか宇宙さえ人間を中心に回してしまう、エゴシステムとして。
 自然の循環に手をつけて、人間の意志によって世界を変えてしまう、そのパンドラの箱を開けるきっかけが遺伝子の組み替えで始まる。そのプロジェクトはすでに始まっており、アメリカが率先して遺伝子地図を読み取りながら、解釈できた遺伝情報に対して特許すら取っている。その事実の意味が理解できないでいると、彼らが意図するプロジェクトに組み込まれてしまうだろう。具体的に遺伝子組み替えの恐ろしさを知って、せめて道産子だけでもそのプロジェクトを避ける手段を考えよう。
 遺伝子組み替え技術を簡単に説明すると、生物としての機能と構造を意図的に変化させるテクノロジ−だ。人間の都合に合わせて生物を作り替え、あたかも奴隷のように従属させることに専念させる技術とも言える。例えば我々の主食であるお米の遺伝子に、害虫を殺す機能を加えたり、カビの発生を抑える因子を植えつける。もちろん本来のお米は害虫に抵抗するために自分自身の抵抗力を高める開発能力を持っているし、カビを発生させない保護的な回路も備えている。しかしそれを発揮させるためにはユッタリとした試行錯誤の時間が必要で、自然に委ねるという過程を経て実現されるメカニズムだ。
 人為的に急いでそのようなメカニズムを農作物に植えつけるには、遺伝子工学を利用する方法が手っとり早いし、かつ商業ベ−スにも乗せやすい。害虫に強くてカビも発生しにくく、おまけに一世代だけで子孫を残さないという農作物を作る理由も生まれてくる。毎年のように作付けする作物の種子を特定の会社から買わねばならず、気がつくと逆らう理由も見つけられないまま人生そのものまで操作されていた。たぶん農協に利用されて続けてきた農民は、自分たちの作るべき農作物の品種改良に参加できないで、アメリカが独占するF1世代の種子を買いつけること余儀なくされるだろう。(F1:自殺因子を組む)
 一世代だけで子孫を作らないという不自然な農作物を育てて、毎年のように農協経由で購入する構図も殆ど具体化している。それは毎年のように自殺する種を購入し、そのはかない命の遺伝子を持つ植物を人々に提供する。虫がつかなくてカビも生えずたった一度きり生命を得て自殺する農作物を作る人。その人々を農家と呼べるだろうか。害虫を寄せつけない農作物の花粉はチョウチョを殺しながら、周囲の虫を殺す自動散布の殺虫剤になる。カビが生えることを拒否する収穫物は、食品として我々の腸から吸収されて細胞に取り入れられると、ミトコンドリアやリボソ−ムに影響を及ぼす可能性もある。
 遺伝のメカニズムは今だ不明のことのほうが多く、そもそも我々が地球上で生きている理由すら分からない。そのような哲学的な根本的な命題も分からないまま、飛び抜けてテクノロジ−のみが突出した20世紀が終わろうとしている。とりわけ食生活という生活の基本的なジャンルが、科学的な先端技術を疑問をはさむことなく受け入れられる。世紀末とはそのような現象があちらこちらで商品化される時代なのかもしれない。

  −以上のような恐ろしい状況からサバイバルする方策はあるのか?−

 北海道が独立をする決意で自給自足を目指すなら、かなりの確率で生き残りは可能になると思われる。その根拠をこれから述べてみよう。
 北海道の人口はスイスとほぼ同じで、面積はその三倍はある。耕地面積でいうとかなり広くて、フランスの農産物を上回る作物を収穫できる。具体的な数字で説明すると、78,512キロ平方メ−トル、東北6県に新潟を加えた広さ(台湾の2倍)。日本全国の21%の面積を持っていながら、人口は5%で人口密度は1キロ平方メ−トルに70人だ。取り敢えずはそれだけの面積でそれだけの人口を養える農作物を自給自足する。取り違えていけないことは、北海道だけが自給自足して独立体制を確率することを目的とするわけではない。北海道という環境を守ることに意味はあるが、我々だけがサバイバルしても後味の悪い思いしか残らない。
 人間が形成する社会というシステムが科学技術を取り入れることと、高度に発達した科学技術に合わせて社会を作ることは違う。テクノロジ−の発達が人間の生活規範を決定し、コンピュ−タとか遺伝子工学の都合に合わせるように生活を変えることは危険だ。気がついたときには何もかもがハイテクになって、それらを捨てる生活ができない無能な人々だけになる。北海道がすべき進化とは、新しい時代のモデル社会を世界に訴えることだ。食料を自給自足することと燃料を生産する技術を開発することで、画一的で偏ったグロ−バル・スタンダ−ドを見直すきっかけをつくる。世界中には多種多様な考え方があり、それに見合った数だけの社会様式があっていい。
 その先駆けとしてのアイデンティティ−を確立する、それが一番目の目標となる。次にすることは意識を変えて、全く別の視点で地球環境を考えることだ。エコロジ−は金にならないし、ゴミとか産業廃棄物問題に夢がないという考えを捨てること。実は21世紀に最も価値を持つ産業の種子はそこで育ち、北海道の大地で発芽しようとしている気配を感じる。エゾシカが増えて困っているとか、アライグマが従来種を駆逐してテリトリ−を広げているとか、リゾ−ト施設が倒産するという悩みは世界的にも贅沢な話だ。
 北海道は未だに遺伝子組み替え技術を必要としない土地があり、自然界の生態系に於ける可能性を試せることの出来る大地がある。来るべき時代で最も価値のあることとは、豊かで手つかずの自然であり、自給自足を確保出来る人間の知恵だろう。人間として余裕のある生きかたが出来る北海道という恵まれた土地でこそ、それは可能になる。世界中を旅をして廻った人が共通して述べるのは、北海道はなんて恵まれた大地なんだという感想を真剣に考える必要がある。決しておせいじではなく、最高の褒め言葉として彼らは感想を述べているだけだ。カナダの人もアラスカの人もオ−ストラリアの人も、そして本州の人も素直にその事実を認めている。
 北海道を開拓に来た我々の先人に思いを巡らすと、どうしても自給自足できる大地で理想を追求する姿が浮上してくる。タップリと降る雪に悩まされながらも、酷寒を克服する知恵を膨らませて農作物の品種改良を行い、北海道の特産物を育ててきた歴史がある。現代においては科学技術を応用しながら、発想を転換して少ないエネルギ−で「雪中米」というユニ−クな備蓄米を、一年中を通じて新米そのものの状態で保存できる。
 風力発電の欠陥をカバ−しながら一生懸命に頑張っている、苫前や襟裳や寿都などの例を見ても分かるが、その地方独特の自然現象を利用する考え方がある。それらはたぶん北海道を自立させたいという欲求がなければ無視していた特殊事情だが、ひとたびそのことを考えると面白い考えが浮かんでくる。雪は零度で保存できるマイナスのエネルギ−であり、風は摩擦抵抗がなければ効率のよい電気を供給できるようになる可能性があるとか。

 −雪とか風とか洪水とかマイナスの要因を何とかプラスに変え、北海道でなければ出来ない創造活動を推し進める為に何をするのか?−

 世界から孤立するのではなく、自分達の努力で自活できる体制を整え、自然とか地球から何かを奪う生活様式を変える。つまり自給自足が出来る方法を考えながら、自然が与えてくれているパワ−源を活用し、捨てるものが何もない生活をする。それを実現するプロジェクト作り、少しの人から大勢の人々に考えを発表しながら、道民としての共通意識を育てていく。世界中に向けて北海道の理想を具体的に示し、生活様式から社会構造に至るまで、何から何までオリジナルな文化を作ればいい。