竹岡 雅史

「アジアを自由に旅して回る」   2月18日曜日
 2001年の一月にイタリアへ行ってから一ヵ月も経たない。二月にはタイ、マレ−シア、シンガポ−ルとアジア旅行に出発だ。こんなに沢山の海外旅行をして大丈夫なのか、うれしさ通り越して不安になってしまう。バチが当たらないかと、貧乏くさい心の部分で恐ろしくなっている。幸せすぎて怖いくらい嬉しいのだ。
 と言うわけで、僕たち極楽夫婦はアジアに向かった。時は二月十八日の日曜日、例によって早々と千歳空港をウロウロする。飛行機の出発時間は十四時二十五分だが、十二時には空港に着いて小島君と十三時三十分に会う。JALの受け付けカウンタ−でタイ国内の航空券を受け取った、バンコクからチェンマイまでのタイ航空のチケットだ。
 いつものことだが出発の前は落ちつかず、サンドウイッチを食べたりビ−ル飲んだり煙草吸ったり、行動がせわしないので疲れる。それでも定刻どおりにJALは飛んで成田に運んでくれた。成田空港に降りるとかなり暖かい。マイナス十度の世界からプラスの十度だから、身体中がウキウキしてくる。でもバスで空港内というか滑走路のそばを長い間移動し、ビルは付け足しのプレハブみたい感じで古さを感じた。思えば成田闘争のころから何十年も経過しているんだ。空港ビルだって老朽化するだろうな、そんな気持ちで学生時代を思い出してしまった。
 十八時十五分に成田からいよいよバンコクへ出発した。JALは日本人に最も人気のある航空会社だから、かなり期待して乗ったのが間違いだった。ビ−ルもワインも勧めないし、食事の巻き鮨は固くて不味い。機内販売ばかり熱心で、肝心のサ−ビスはお粗末だった。KLMもそれほどサ−ビスは良くなかったけど、JALは何だか殺伐としていた気がする。(帰りの便も同じ様な状況だったし、国内便はもっとお粗末だった) それでもブランディ−とワインを頼んで、ほろ酔い加減でウツラウツラして窓の外を眺めていた。天気が良かったので夜景というか地上の光が見えた。日本列島を抜けて沖縄上空に達したことも確認でき、台湾とかフィリピンと思われる地上の光も見える。アジアは人口が比較的密集しているので、光のラインを繋ぐと国と地図の形が想像できる。夜間飛行も中々いい。
 ポワ−ンとした状態のままバンコクはドンムアン空港に着陸した。ムフワ−ッと暑さが身を包み込み、身体のなかで焦っている気がする。日本から六時間くらい経過したから、夜中のはずなんだけど午後十時四十分だ。ヨ−ロッパより近いんだろうけど、ハワイよりかは遠い感じか。
 入国審査はノンビリしていたけど、女性の審査官はテキパキやってくれたので、並んでいた列を変えると意外に早くOKだった。とりあえず両替所でUS100ドルを交換すると、4000バ−ツの札になって戻ってきた。500バ−ツ札が多く、次いで100バ−ツ札で、貧弱でうす汚くUSドル紙幣と同じ匂いがする。
 旅行案内書に書かれていたよりレ−トが良かったので、その空港にあったバンコク銀行の両替所で、更に100ドルと一万円をバ−ツに換えておいた。予約したコンフォ−トホテルは迎えの車があり、少し待って他のお客さんと一緒に乗り込んだ。夜も遅くなるからと空港近くのホテルを予約しておいたけど、ドンムアンはハブ空港なので飛行機がうるさかった。部屋は広くてバスタブがあったが、古くてくたびれたタイに似つかわしいモノ。
 というわけで、グ−ッとシンハビ−ルを浴びてベッドにGO!なのだ。分したらしい。テレビは貴重な情報源だが、早口なので詳細が分からない。