竹岡 雅史

「アユタヤへの小さなクル−ズ」   2月20火曜日
 毎度旅の朝は早く目が覚め、熟睡中を妨げられたハニ−が文句を言っている。にもかかわらず、午前六時にはキッチリと朝食を摂った。このホテルは中国系の経営らしく、パンとコ−ヒ−だけのコンチネンタル・ブレックファ−ストではない。お粥からチャ−ハンまで揃っている、本格的中国大陸風朝御飯満席だった。ただ飯は腹一杯食ってしまう情けない貧乏性は、浅ましいと思いつつも止めることを知らない。
 てなわけで美味しい朝食をゴ−ジャスに頂き、ツア−の迎えが来るまで部屋で朝の儀式を済ます。スッキリしたところでロビ−に降りて小島君を待つが、ピックアップ係のお兄さんが来ても彼は現れない。そう、小島君はマイペ−スの人だったのだ。ごめんごめんとエレベ−タから出てきた時は、迎えの車のなかで大柄の白人たちが息苦しそうだった。彼らは他のホテルのツア−客で、僕等より早く出発してきたのだろう。本当に御免なさい。
 アユタヤにはバンコクから高速道路に乗っかって、ほぼ一時間くらいの距離にあった。バンコクの前の首都で、アユタヤ朝時代にビルマに滅ぼされた寺院がある。首がない仏像があったり、少し前の王宮があったり、金ぴかの大仏がある古都だった。信心深く祈る。
 帰りはチャオプラヤ−川をディナ−・ボ−トで下る。ディナ−と言ってもランチなんだけど、バイキング様式のタイ料理が揃えられていた。カレ−がとても美味しかったんだけど、同席した中国人の子供が吐き戻したのでウンザリ。僕たちも具合が悪くなる前にボ−トの外に出て、川辺の風景を見ながら日光浴をした。二時間くらい日に焼けながら、チャオプラヤ−川の風景を楽しむというか、飽きるまで眺めつづけてまっ黒けになる。
 大きな川を船でゆったり下るのは、長年の夢で期待していたイベントだ。景色は見慣れない風景が続き、それこそリバ−クル−ズそのものなんだが、タイの暑気と称される季節にオ−プンデッキで椅子に座っていると、間違いなく顔黒になる。日焼け止めを塗ろうが帽子を被ろうがこんがりと焼ける。そのうち景色なんかどうでもよくなって、早く終点に着くことばかりが楽しみになった。
 しかしチャオプラヤ−河畔の立派なホテル群と、数々の寺院が織りなす光景はさすが。ホテルに帰って即座にプ−ルに僕は飛び込んだが、小島君は海パンを持参せず結局だめ。日に当たったのと朝が早かったので、疲れて会話も途絶えがちだったが、夕方には元気回復して外出した。ゴチャゴチャと存在する露天を冷やかしたり、レストランに入って夕食をしてその安さに感心したり、夜のバンコクを練り歩いた。
 小島君がニセモノの「プラダ」をお土産に買わなくちゃ、そういいながらあちこちを探し出した。そういうモノは店舗を構えた店には売っていない。怪しいモノは露天を当たるほかはない。あれこれ目ぼしいところを当たってみるのだが、なかなか本物にそっくりでなおかつ安いモノが無かった。諦めてホテルに買っていくと、なんとホテルの目の前にニセモノ売りの露天を発見。そういえば昨日も此処にあったけど、高いことを言うので相手にならなかった。
 ダメもとで「プラダ」の財布の値段を聞く小島君とハニ−。腹が減ったので道路向かいの露天で何かを食べたい僕。二人は3800バ−ツという値段に驚いている。僕は早くも道路の向こうへと渡ろうとしている。何だか500バ−ツに負けろと無理な値引きをしている二人。それには相手も驚いたらしく、3500バ−ツだと言った。僕がさっさと道路を渡るもんだから、二人も付いてきたら、何と600バ−ツでOKと言ったので買った。