竹岡 雅史

「ファランボ−ン駅で、マレ−鉄道を予約」
2月23金曜日&2月24土曜日
 バスタ−ミナルまで送ってもらい、長距離バスに乗り込んだ。立派とはいえないがユッタリとしたシ−ト、女性のアシスタントがいて飲み物やおしぼりをサ−ビスしてくれた。投げ捨ておしぼりには香水が含まれており、あまりスッキリと顔を拭えないけど、ク−ラ−は効き過ぎるくらいだ。寒けがしたので厚着をしたが、どうやら札幌の風邪がぶり返したようだ。薬を倍以上服用し、ひたすら寝ることで凌ぐ。
 途中の休憩で昼食をとったが、あまり美味しそうなのがないので、もったいないから食べなかった。でもあれは無料だったようで、それなら無理しても食べたのにと思う。暑いけどバスのなかは寒くて震えて眠る。風邪でなくてA型肝炎だったらという不安がよぎったり、疲労と緊張と寒暖の差から自律神経が狂ったのか、ウトウトしながら考えていた。 十時間くらいで北バスタ−ミナル・モチットに着いた。そこからは中央駅までマイクロバスで50バ−ツで行き、何とかジョイントチケットのファ−ストクラスを手に入れた。ところが予約していたホテルが駅から近いはずだったのに、前のホテルと同じくらい遠かったし、ボロなのが悲しくて風邪が悪化した。
 二度目のバンコクは何となく懐かしく、多少具合が悪くても外出したくなる。それを抑えてベッドに付いたが、習慣になっていたビ−ルが飲みたくなった。でも風邪が悪化するのが嫌なので、水を飲んでしのいだ。
 今日でタイに来て丸々一週間が過ぎたわけだが、寒けはしてもアジアはいい。物価も安いし気を使わなくてもいい。要するに気楽に過ごせるところが気に入った。そんな気持ちでテレビを見ながらノンビリしていると、気のせいか体の調子がよくなっていく。明日の汽車の旅を想像していると、だんだんワクワクしてきた。ベッドの中であれこれと旅の反省というか、記憶の反芻をしているうちに自然と朝を迎えた。
2月24土曜日
 汽車の出発は夕方なので、チェックアウトの昼までぎりぎり部屋にいた。地図や旅行の本を見ながら今後の予定を立て、帰国までの2週間以上をどのように過ごすか考えた。先ずはマレ−鉄道を南に下ってスラタ−ニまで汽車で行き、スラタ−ニからバスで港に行ってボ−トに乗り換えてサムイ島の到着する。
 サムイ島では乗合トラック(ソンテウ)でチャウエンビ−チまで行き、予約したホテルを確認しながら別の安いホテルを頼む。予約していたホテルは25日からの宿泊なので、24日当日は安めのホテルに泊まるのだ。それから約一週間はサムイに滞在し、アジアンリゾ−ト生活を堪能して、飽きたらマレ−シアの方向へ足を伸ばす。
 マレ−シアはペナン島とマラッカに行く予定だが、クアラルンプ−ルはどうしようか迷っていたが、とにかく最期の滞在予定地はシンガポ−ルだ。地図に印を付けて後は行くだけとなると、どうにも落ちつかなくなって11時ころに出発をした。
 タクシ−を拾って100バ−ツでファランボ−ン中央駅に着くと、ようやく正午ごろだった。ファランボ−ン駅はカマボコ型の半透明の天井で、ヨ−ロッパスタイルの上野駅のような感じがした。ホ−ム線路や地面と同じ高さで、列車にはヨッコラショとよじ登るやつ。そこでぶらぶら時間をつぶすわけだが、何といっても夕方6時発の汽車だから長い。 ホ−ル二階の日本食堂でトンでもない蕎麦を食べた。麺は気の抜けたスパゲティ−のようで、つけタレは甘くてとても盛蕎麦とは呼べない味がした。口直しに下の大衆レストランでタイ風ヌ−ドルを食べると、安くて美味しい、最初からここにすればよかったのに。