《発起と、迷いの克服》

健康維持の為のウオーキングから山登りに目覚めた私は、
県内の山をすこしづつ登り始めた。

 岩手県内の山は最高峰が岩手山で2038m。
数年前から火山噴火の危険から入山禁止で登山不可能になっていた。
やむなくホームグラウンドの早池峰山(1917m)を筆頭に、
手軽に行ける秋田駒ヶ岳などに登っていた。

 本当のところは、懐かしい南アに行きたかったのだが、
岩手からは余りに遠く今に至るまで実現していない。
なにせ同じ東北でも、鳥海山や尾瀬の燧ヶ岳.至仏岳すら行けないのだから。
南北アルプスなど夢のまた夢である。

 山行と山行の間は相変わらずウオーキングで足腰と心肺機能を鍛錬。
(時々、怠けましたけどもね)
いつもの、起伏に富んだリンゴ畑のある田園地帯のウオーキング中は、
いろんな事を考えながら歩いていたものだった。

 「俺ももうじき50歳だ、折り返し地点は既に過ぎた。
今まで大した事はしてこなかった。残りの人生に悔いを残さない為に
自分の一番やりたいことを実現させてみよう。」

 「今まで患者さんや、協会や、家族の為に及ばずながらも自分なりに
頑張ったつもりだ、今度は純粋に自分の生き甲斐としての目標が欲しい」
という考えが過ぎってきた。

 最初は、漠然かつ曖昧なイメージで、そして徐々に、
何かしようという意識がだんだん形として明確化してきた。
そう3年前の事である。

 人生50周年に出来そうなことをいろいろ考えていたら,
ひらめいたのがアフリカの最高峰キリマンジャロ。
山登りは長いブランクがある
「だいいち俺は、ここ20数年2000m以上の山を登ったことが
無い。しかし相手は6000m近いアフリカの最高峰。」
でも、まだ目標まで3年ある。

 インターネットで情報収集、登山関係の旅行会社に資料を求め検討。
資料には「健脚向け、高山病の危険性あり、外務省危険指定地区、
熱帯病地区」などの文言が不安を煽る。

 加えて、持病の腰痛が悪化したり、
思うようににトレーニングが出来なかったりして体力も付かずに弱気になり、
くじけそうになったり。ある時は「どうにかなるさ」と楽天的になったりと、
気持ちは逡巡していた。

 一度決めたからと言って、そうガムシャラに事を進められる訳ではない。
やらなければならない事が山積している、そう気楽には運ばない。
なにせ患者さんもいれば、仕事だって休まなければならない、
家族も生活もある。すべてに上手くバランスを取らなければ 、
自分に何か事故でもあれば周囲に迷惑をかけてしまう。

診療はどうする…
家族にどう話すか…
生命保険は大丈夫か…
休業補償は十分か…
持病の腰痛もあるし…
日々の暮らしもあるし…
トレーニングも思い通りにいかないし…

 社会人なのだから、何かと考えなければならない事が多く
時々面倒臭く感じる時がある、いっその事やめてしまおうか…

 そんなくじけそうな時は、友人に「俺はキリマンジャロに行くぞ」と吹聴し、
弱気になっている自分がそうせざるを得ない様に自ら「自分を追い込む」
手法を用いた。(聞かされた人達は、耳障りだったのでは)

 今にしてみると、自己暗示の効果もあったと思う。
萎縮してしまいそうな自分の意志をなんとか奮い立たせたかったのだ。
事あるごとに吹きまくったので、もう後戻りは出来ない。実行しかない。

 そんな中、インターネットで情報収集中に良い情報を見つけた。
キリマンジャロ登山体験記である。検索するとたくさんヒットする。
高山病に苦しみ断念した人、そして案外楽に登った人などたくさんある。
東京医大のホームページでは高山病について詳しく記載されていた。

 ここで判った事はキリマンジャロでは、
最悪でも死ぬほどでは無いと言うことである。
山のリスクはそれ程高くない。(現地の治安の方が危険らしい)

 「これだ!」 
これがヒマラヤと違うところなのだ。これで気持ちはかなり楽になった。
家族にも説明しやすくなったし、自分の気持ちの迷いもこれで解消。

 山は登れなくても構わない、
アフリカでキリマンジャロを眺めてくればそれでいい。
欲張らないことにしよう。
天候や体調が良ければ行けるところまで行こう、そう思う事にした。