〈コミュニケーション、人種差別〉

  ポーター達はとても人が良い、そんな人が多いように感じる。登山道ですれ違う際、大荷物を担いだポーター達に「ジャンボ」と挨拶すると荷を担いで苦しいだろうにも関わらず、たいていニッコリと笑顔で挨拶が帰ってくる。しかも、時には日本語で「コンニチワ」とサービスしてくれるのである。

  しかし、ヨーロッパの白人達の態度は違う。少しとりすました様な感じで、気取って見える。彼ら白人達は、ポーターやガイドにも一定の距離を置いているかのようだ。現地の黒人達も白人との付き合い方をそうしたものと心得ているかに見える、どうやら諦めに似た観念があるようだ。

  これは、4年間アフリカを旅行しているという日本人バックパッカーと知り合いになり、彼から聞いた話だが、どうも、アフリカの人々は300〜400年もの長い間の植民地で、すっかり洗脳されてしまっていると言うのだ。つまり「白人には何をしても、かなわない」と言う諦観である。白人は絶対的支配者に君臨するため、現地人に「負け犬根性」を植え付けたのである。支配者である白人に都合にイイ洗脳である。

 キリマンジャロ登山でも白人達の接し方は少しばかり気になった。特に感じたのはスペイン人のパーティである。スペインといえば、植民地支配の悪の権化みたいなもの。植民地支配に対して、今だかつて、ただの一度も謝罪したことが無いという神経の連中だ。黒人達と、主従関係をはっきり区別するのが当然といった態度がみえる。

  黒人達も、彼らと接する時は、どこか緊張しているようにも、卑屈にも見える。キボハットでは山小屋が同じ建物だったので、すれちがう際など「ハロー」と挨拶しても返事しない者もいる、無視している輩がいるのである。まあ、黄色人種も区別されているのである。とかく「けじめ」を付けるのが好きな連中である。

  スペインなど「世界中の植民地で現地人を騙してに散々泥棒してきたクセに。バチが当たって今では二流国民。生意気な!」と日本語で悪態を言い、溜飲を下げる。

 一方、我々日本人はと言うと、やはりどこに行っても日本人。良くも悪くも、日本の常識「和」の精神でガイドやポーター達と接する。「まあ、まあ、何とかうまくやっていこうじゃないか。」と言った具合で一緒に話をしたり、気軽に声をかけたり(片言の英語や日本語で‥)、おやつを分けたりする。自然にそう行動してしまう、すっかり体に染み込んでいるのだ。彼ら現地人だって日本人クライアントに悪い気はしてないようだ。

  その為かどうか、少なくとも、我々は必要にして十分以上に親切にして貰っていたと思うし、彼らと気持ちよく行動を共に出来たと思っている。

 ヨーロッパ人の発想では、プラグマティックに「金出してるんだから当たり前」だろうね。どこかが、貧困だな〜。「けじめ」が悪いとは言わないが、行き過ぎた「けじめ」は無益。さしづめ人種差別は行き過ぎた「けじめ」であろう。日本人的「曖昧さ」も、こうした場面では、そう悪くはない。(ところ構わず、なんでも「アイマイ」でも困るけど)

 最近のNews Week誌で日本特集がありました。こうした日本流の「和の精神」が、良い対人関係に必要と評してあった。アメリカの見方も変わってきたものだ、昔(貿易摩擦時代)は曖昧な態度を何かと批判してたのにね。そうした日本人気質のせいかどうか、件のバックパッカーが言うにはアフリカでアジア人は差別の対象だが(?!)、日本人の評判は例外的に大変良いとの事。評判は奥地まで浸透して、それでアフリカのいろんな所で随分助けられたと言っていました。日本人もまんざら捨てたものじゃない。

 すれ違う白人達にも、私は同じように挨拶していたが、彼らは義務的に仕方なく返事する者が多いように感じる。一方で黒人達の多くが笑顔で返事するのにね。でも返事が戻るだけいいのである。「このカラードめ、気易く声をかけるな」とばかりに、まったく無視する輩もいる。まあ、心が狭量な人物なのだろう、かわいそうにね。山に登って、その心の「汚れ」が少しはキレイになってもらいたいものだ。

 下山中、ガイドのディーダス氏と世間話しながら歩いていた、そこで私は率直に自分が感じた事を話してみた。挨拶の話である。「タンザニアの人達は挨拶すると笑顔で帰ってくる、とてもナイスだよ。でも、ヨーロッパから来ている白人達は、なぜかそっぽむいて返事する。俺は、今また白人を試してみるからディーダスさん見ていて」

  少しして、丁度、白人登山者が来たので私は笑顔で「ジャンボ」と挨拶した。果たせるかな、その白人はそっぽを向いて、無愛想に無視した。相手を試した私も意地が悪いが、その白人の神経も相当なものである。あまりにもタイミング良くその通りになったので私とディーダス氏は、その場で大笑いしてしまった。

  「もしかしたら、白人の心はとてもプアーなんじゃないか?」と言ったら、彼は真面目な顔してイエスと答えたのである。

 人種問題は非常に根の深い問題である事を認識した。日本に住んでいただけでは解らない問題だ。