テッチ・オッタン
(フリーライター)

 それは5月27日月曜のことだった。札幌の兄の所から「イルカと泳ぎに行ってみないか?ちょうどキャンセルで空きが2人分ある」と言うのだ。僕の息子のヨシノリは自閉症で特別、決定的な治療法はなく、確かにイルカと一緒に泳いで遊んだりするということは心の治療になる事だ、というのは前に兄から聞いてはいた。まあとりあえずうちのカミさんに相談してみたら、「行ってみたら?なんだか楽しそうじゃない」との返事。僕も軽いノリで「それじゃまあ、行ってみるか」という気になってしまった。兄のところに早速電話をかけて「行く!!」と返事をしてから、「ところでどこへ行くんだっけ?」と聞いてみたら、「バハマだ」と言う。はて、どこだっけ?南太平洋だっけ?まあ、行けばどうにかなるだろう。しかし、パスポートが切れていることに気づいて息子ともども明日、取りに行かなければならなかった。
 次の日、十勝支庁に問い合わせると、出来るのは6月11日だという。全然、お話にならない。兄が道庁のパスポート担当者に聞くと6日には出来るらしい。昼からの仕事を全てキャンセルして、息子の写真をあわてて撮り、列車に駆け込んだ。前の日は妙に興奮して眠れなかったので列車の中で少し休めるかなと思ったら、何だか緊張して全く眠れなった。ちょっと不鮮明な写真が気になっていたのだ。
札幌に着き道庁に行き書類を書いた。面倒だったが普段、個人輸入でこの手の書き方には慣れていたおかげでノーミスだった。隣の新婚らしいカップルは3回も書き直していた。ふと、写真を見ると、まだ規定のサイズにカットしていないことに気がついた。それに僕の写真の方も汚れてしまっていたので、もう一回撮り直し。ヨシノリの写真を一緒にカットしてもらい、裏に名前を書き込んでおいた。しかし、いざ提出の時になったら、四枚書いたうちの二枚が裏書きをしたインクで汚れてアウト。やばい!!しかし、兄に一日早く5日の日に出してもらうように頼み込めと言われていたので、とっさに「息子の病気治療のためにアメリカに行くので、たまたまキャンセルで空席が出来たもので出発は6日の早朝か5日の夜なんです」とウソのような本当のような話をして、5日の午後4時にもらえるようにした。さすがにバハマとはいえなかった。

 一息ついて兄のところに電話をかけると、「キャンセルの空席が一人分しかなくなった」という。しかし、「オーストラリア便もあるので、とりあえずパスポートはとっておけ」という。でも僕は今回、バハマに行けると確信していた。なぜなら、過去二回、海外旅行に行った時も向こうのミスで行くメンバーに入っていなくて、無理やり入れてもらったり、湾岸戦争の時テロがあって二週間前に行き先を変更したりした経験があったからだ。「またか」とは思ったがいつものパターンだなと感じていたのだ。帰りの駅で本を買い、バハマがカリブ海にある一つの国だと初めて知った。
 いよいよ出発の日になった。前日ヨシノリはブランコから落ちたとか言って顔を打って、口の中を切ったらしく、痛がり、歯医者に行って診てもらい口内炎の薬をもらってきたのだが、一晩中痛がり、一睡もしていなかった。朝、体温を測ると37、6度、微熱である。病院からもらっていた抗生物質を飲ませていざ、旅立ちだ!。しかしヨシノリは僕と二人きりで旅行するのは初めてである。しかも、列車すら乗ったことがないのだ。まあなんとかなるだろうとタカをくくっていたが、列車の道のりの半分を過ぎたあたりから怪しくなってきて、駅に着くと手を引っ張っていって降りようとするのだ。「あと3つで降りるからね」「あと2つ」「あと1つ」と抱っこしながらデッキで説得してやっと、札幌に着いた。駅では、兄と義姉が待っていてくれた。今回の旅行費用は兄達の好意で全て出してもらっている。スマン!!この借りは必ず返さなければならない。とりあえず飯を食うということになったのだが、ヨシノリは口の中が痛いらしく、食欲がない。飲み物だけしか口に入れていない。兄達と入ったホテルのレストランはちょっと、眩しかったのでヨシノリは不安になったらしく「ママ、ママ」と泣き叫んで、料理も全く手をつけられず出てくる羽目になってしまった。その後、パスポートを受け取り、千歳空港へ。今度は初めての飛行機だ!!そして初めてのモノレールにも乗らなくてはいけない!!初めてのパパと一緒のお泊りだ!!しかし、ヨシノリは非常に不安気で、熱も38度くらいある。顔も腫れがひどい。ちょっと僕も不安になってきた。しかし、飛行機に乗ると案外、静かであった。

少し眠っていた。羽田に着くとまた不安気に、いったいどこに連れて行かれるんだろうというようなそぶりをしていた。モノレールに乗ってしばらくすると急に不安になったのか「降りる」というそぶりで俺の手を必死に引っ張るので「あと三つしたら降りる」「あと二つしたら降りる」と言って抱っこしながら、なだめすかして浜松町へ着くのを待った。着いたらすぐにタクシーを拾って上野のホテルに向かった。
 東京は蒸し暑くすえたニオイがした。タクシーのオッチャンと世間話をしながらようやく着くと思ったらかなり入り組んだ一方通行で、ホテルは見えるが、そこまで近づけない!!しょうがないから途中で降りてヨシノリをトランクの上に乗っけて押しながらホテルに向かう。やっとホテルに到着するともう11時を回っていた。部屋に入って改めてヨシノリを見ると、顔の腫れは疲労のせいかますますひどく、熱も38、6度位ある。(この時を境にしてもう熱を測るのをやめた)
嫌がるヨシノリに無理矢理薬を飲ませ、ベットをくっつけて抱きかかえるようにしてたら、やっと眠ることができたようだ。初日からえらく疲れた。クタクタだ。この調子であと10日以上ももつのだろうか?アッ、そう言えばヨシノリは熱があるせいか今日は何も口をつけていない。ちょっとお菓子をつまんだ位のものだ。マア取り敢えずポカリスエットみたいな水分はいくらか摂っているからめったな事はないだろう。とにかく眠い。