〈ケニアからタンザニアへ〉

 ナイロビの朝は、寒いぐらいだ。室内で20℃、窓を開けるともっと涼しい、外気温はおそらく17℃位だろう。(登山用の温度計を持参)昨日、赤道直下の地元民がフリースを着ていた訳が納得。

 6時40分、日の出。雲の間から真っ赤な太陽が顔を出す。8Fの部屋から外を眺めると、人々が活動し始めている様子が分かる。やはり貧しい、街が汚れている。昨晩、干した洗濯物が生乾き状態だがパックする。トヨタのハイエースで移動開始。道路際(舗装です)には地元民が多数、歩いていたり、座っていたりしている。通勤用の乗合自動車でも待っているのか。

 走っている車は、ほとんどが日本製。日本語で書かれた文字からして中古車だろう。中には元東京都の救急車までが乗合自動車に役割を変えビッシリと人が乗っている。その車の中は、外から見ると真っ暗に見える。よく見るとそこには、たくさんの目と白い歯がある事に気が付く。人間を色で差別するつもりなど無いが、先入観無く見てそれを表現すると、そういう印象なのである。

  ナイロビから30分程もすると、延々とサバンナが続くのである。車は少ない、なぜか集落の道路脇(幹線道路は舗装)には、人が集まって歓談の場になっているように見える。どうやら、物資や人が流れる事から(ケニアもタンザニアも)道路沿いに人々が集まって、いろんな意味で社交場になっているようだ。

  集落を過ぎると、さすがに人もまばらになり、時折、牛や山羊の群を追う人の姿も見かけるが、やがて無人のサバンナになる。最初は珍しがって見ていた蟻塚などは、それこそ無数に見られ、この土地ではありふれた物であるが分かった。野生動物の宝庫だと思い込んでいたが現実は全然違う。ほとんど見かけないと言った方が正しい。野生動物は幹線道路から離れた奥地か、保護区にしかいないのである。

 行けども、行けども変わりない同じ景色を眺め続けて約3時間で、タンザニア国境に着く。何故かケニア側には人が多く、すごい人混みである。我々外国人を見ると物売りが大勢寄ってくる、地元ガイドは相手にするなとアドバイス、物取りやスリも多いから注意するように云われた。しかし、ここの物売り達は相当しつこいのである、首飾りなど売ってる女などは5ドルで買えとしつこい、何度、NOと言っても引き下がらない。すると、3ドルではどうだとなる。それでもNOと言うと最終的には1ドルでイイという。では最初の5ドルの意味は何だったのか、商売というもののプリミティブな本質を見ることができた気がする。

 ケニア.タンザニア国境には幅200m程の緩衝地帯があって、そこを通過して入国するのだが、なぜか家畜を引き連れた地元のマサイ族は、そんな国境線などまったく無視して自由に往来している。彼らは、大昔からケニアもタンザニアも自分たちの土地という意識なのだろう。両国の、イミグレーションの担当官もそういうものだと言う認識であるらしい、アフリカ
らしいおおらかさである。

  大昔からの既得権というか、後から出来た国境線などマサイには通用しないと言う事らしい。想像するに、マサイ族の土地をマサイが自由に往来しているからと言って何か特別問題がある訳では無いと言うことか?結局は、根底が部族社会って事なんだろう。

 国境を越えて、今度はタンザニア側の車に乗り換える。トヨタのランクルになった。なぜか車にシュノーケル装置が付いていてルーフが外せるようになっている。今は乾期だが、雨期にはエンジンまで水に浸かるような走行をしてると言うことなのかな?やはり、同じ景色が数時間も続き、その後、乾燥地帯となり少しづつ植物が少なくなり、時折、奇妙な樹形で有名なバオバブの木が見られる、TVで見るような大きな木は無い。

  やがて砂漠地帯となってきた。地平線が見える。気温はさほどではない、車の中でもせいぜい32〜34℃程度。湿度が少ないのであまり苦にならないし、汗もかかない。日本の夏の方が余程、暑く感じると思う。